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焚火

小國神社は古代の森の中にある。森を擁していてこその神社だ。そういう意味では、小國神社は神社の中の神社である。
その奥の鳥居の手前でドラム缶を利用した焚火が二基しつらわれている。参拝の前や後にこの焚火を囲んで暖を取る人が
多い。気が枯れた状態を穢れというが、炎はその穢れを滅し、祓ってくれるようだ。

二宮尊親(2月18日)

興復社二宮農場の創設者二宮尊親は、二宮尊徳の孫として、安政2年11月16日、現在の栃木県今市市に誕生。明治29年興復社再建のために北海道開拓を決意し、社員等4名とともに渡道。明治30年牛首別興復社の設立認可を受け、3月3日第一期移住民15戸を引率し、4月8日牛首別原野に到着。この年郷里から家族を呼び寄せ、茂岩に居住することとなった。以来明治31年第二期入植者23戸、明治32年第三期入植者14戸、明治33年51戸、明治34年14戸と続いて入植し、尊親自ら陣頭に立って寝食を忘れて指導に当たった。明治40年入植以来10年にして開拓の方向も定まり、各農家も経営の安定を見るに至ったので、福島県中村に転住。その後は年に数回実情の把握および指導のため現地入りしたのである。この間、十勝にあっては農会長、学事会員、その他の公職に推され、依田勉三、関寛斎らが尊親を訪れたこともあった。郷里に帰った後も、尊徳遺稿一万冊の整理、「二宮尊徳遺稿」の編集著作に専心する傍ら、農業関係、金融関係、教育関係の公職及び実務に当たり、現西宮市報徳学園の二代目校長などを務め、大正11年11月東京において68歳で病死した。

亀之丞の隠れ岩(2月12日)

井伊家23代の直親がまだ9歳の時(幼名=亀之丞)、父の直満が今川に殺された。龍譚寺の縁のある信濃の松源寺まで逃げた時、井伊谷からまず渋川へ向かう山道(蓬莱寺海道)の峠にある大岩で追手の目から逃れ一夜を過ごしたという。井伊谷から約8Kmの地点にある。最近になって標識も整備された。

初日の出

夜が明け、朝日が昇った。瑞々しく、新しい命漲る太陽のまばゆい光である。平成29年、皇紀2667年、西暦2017年が明けた。


和ごころ講演会(9月23日)

白駒妃登美先生

今夕6時過ぎにしのつく雨の中を浜松駅前のアクト・コングレスセンターに向かった。「日本をよくする静岡県民の会」主催の講演会だ。講師は歴史評論家の白駒日登美先生、才色兼備である。


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