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ブログ

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今朝ほどは発表前からテレビに釘付けだった。菅官房長官の芯のある力強いご発声で新元号が発表された。その瞬間、視覚的には唐突感があったが、音の響きからは凛とした古代に還るような原点回帰みたいなものを感じた。格調高さ、というか...。基本的には「れいわ」と発音するのであろうが、「元和」は「げんな」と発音するので、「れいな」も可かな?と思う。従来の中国古典からの脱却という意味ではまさしく画期的であり素晴らしい。万葉集から引用したということで、それはそれで良いのであるが、梅よりも桜のことを前面に出して欲しかったと少し残念ではある。奈良時代は外来の仏教文化が猛盛をふるった時代であり、とは言いつつも、まあ良かったな、と思う。聖徳大使の隋の煬帝に宛てた親書の歴史的画期性を思い出す。

子規の句碑(3月31日)

浜松にある子規の句碑を2か所訪れる巡り合わせとなった。中区の天林寺と西区舞阪町にある弁天神社である。”馬通る 三方原や 時鳥”は天林寺の鐘楼のすぐ横にあり、子規自身の遺墨を基に彫ってある。句碑の背面を見ると、この句碑が建立されたのは昭和六年である。西暦で1931年。今年米寿を迎える勘定になる。句碑のすぐ後ろに染井吉野が太い幹でのさばっている。恐らく句碑を建立する際に苗を植えたのであろう。”訪ね来て 句碑も桜も 米寿かな” と、一句浮かんだ。いまひとつの句碑は、浜名湖畔の神社弁天神社の境内いある。子規の句はこうだ。”天の川 濵名の橋の 十文字”。明治28年(西暦1895年)、開通したばかりの東海道線の汽車に乗って
この辺りを通った時に詠んだ句らしい。ここ境内には、子規の句碑のすぐ隣が松島十湖の句碑で、”月や風や 夏しら波の 海と湖”とある。こちらは明治41年の作。

白龍の天井画(3月31日)

栗原幸彦先生による白龍の天井画が本日遂にお披露目となった。開山618年の歴史がある禅定山大通院の再建落慶式が午前10時半から
挙行された。宗派は臨済宗で奥山方広寺派である。山門を残すのみで、長らく更地だった場所に本堂が蘇った。この寺は檀家がいないらしく、多くの末寺が浄財を持ち寄ったらしい。天井画は昨年の夏から秋にかけて制作された。杉板を何枚も組み合わせ、三間四方(一間は1.8メートル)の大作が仕上がった。ゆるぎない画面構成がもたらす緊迫感。八方睨みの実に立派な龍が現出した。恐らく東海一の大白龍であろう。7日迄一般公開され、その後は月一の頻度で観覧日を設けるという。ちなみに、龍の眼は見上げる位置によって赤であったり、また金色に変幻するのが不思議である。

森町三倉の山桜(3月30日)

今日の午後思い立って森町三倉に向かった。かつての塩の道といわれる山道を登って行った。雨模様の日だった。大久保地区の八幡神社の脇にその山桜は満開だった。染井吉野と違い花弁と葉っぱが共に寄り添っている。桜は姿だ、枝ぶりだ。まず八幡神社に参拝。北島宮司が墨書したと思われる説明の立看板には、467年前に再造とあり、かつて徳川家康公も参拝された由。この桜も樹齢数百年を数える銘木である。八幡神社の隣地はかつて三倉小学校があり、その一角に二宮金次郎像が今もなお立っている。校舎は何もない。帰り道には雨足が強まった。振り返って見る遠景の桜も風情があっていいものだ。

最近はテレビを見ながらほぼ毎日やっている。日曜日は第一、第二の両方があるのでとても良い。昭和天皇の即位の礼の記念事業の一環で始まったという。90年の歴史があるのだ!仕掛けは保険会社のようだ。小学生の頃、「ラジオ体操の歌」を聞いたあと体を動かした。以下の歌詞での歌は第三代目だという。藤浦洸作詞、藤山一郎作曲である。大和言葉(訓読み)中心となっているのがとても良い。心に沁みる。近所の人たちが集まって一緒にやると一体感が生まれてくるのだ。

新しい朝が来た 希望の朝だ 喜びに胸を開け 大空あおげ ラジオの声に 健(すこ)やかな胸を この香る風に 開けよ それ 一 二 三 新しい空のもと 輝く緑 さわやかに手足伸ばせ 土踏みしめよ ラジオとともに 健やかな手足 この広い土に伸ばせよ それ 一 二 三

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