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遠州とこわか塾(7月24日)

森町・小国神社の研修室を会場に昨年9月に開講した標題の塾が最終回を迎えた。第5回目の講師は林英臣氏である。演題は、「二宮尊徳と天地人」、副題は~アメリカ型資本主義から、東洋型天本主義へ~である。”欲望を無限に追求するアメリカ型の資本主義では、もう未来はありません。天地自然の働きを生かしつつ、互いに役立ち合うことで栄えていく、東洋型
経済への転換が迫られているいると思われます。" そのお手本が、二宮尊徳の農政改革にあるという訳である。天:天本主義とは、自然の働きを生かす。 地:地本主義とは、地域経済生態系を整える。人:人本主義とは、人が幸せになることが基本。”父母の根源は、天地の令命に在り”で始まる報徳訓の中にその教えが解き明かされているのだろう。その教えについての講演会が、報徳思想の実践者・鈴木藤三郎の生地・遠州森町で開催されたことの意義は大きい。林先生の熱い語り口を久しぶりに聞かせていただいたが、困難の時代を生き抜く勇気を与えられた気がする。松下幸之助翁の愛弟子ならではの力である。

明治の教育(6月10日)

明治25年(1892年)出版の小学校用「帝国小史」

以前ある骨董市で買った「帝国小史」という教科書を読んでみた。明治25年(1892年)の発行である。日本は世界の中でまれに見る良い国であるという書き出しである。”凡そ世界にある国々の数は多けれども、我が日本ほどよき国はなし。気候は、あまり寒くもなく、また暑くもなく、地味ゆたかにして、多く米茶桑などを産す。我が国の人は、昔より武勇をたっとび、忠義の心あつくして、一たびも外国に無礼を加えられたることなし、されば、天皇陛下の御ちすち”は、開闢の昔より今日に至るまで、連綿としてますます栄えたまえり。かかるよき国はいづこをさがしても、我が日本の外には、決してあることなし。されば、此国に生れたる我等は、まことに幸の身といふべし。” どうだろう、大東亜戦争に負けて後は、外国勢力から無礼を
されてばっかりである。

浜松文芸館講演会(5月29日②)

今日は台風2号接近のせいか雨風が強かった。浜松城公園に隣接する文芸館で、午後1時半より太田誠・元駒沢大学野球部監督の講演会が開催された。以前何度かお話を聞かせていただく機会があったが、ご自身が実践され経験されたことがベースになっているため、迫力と説得力があり、そしてそのお話し振りから、強く美しかったかつての日本の姿が偲ばれることは誠に有難い。こういう方がまだお元気で、そればかりか引退後も講演会などの活動(文化の継承、バトンリレー)をなさっていることに、まだまだ日本も再生の望みがあるのでは?諦めちゃいけない!と感じていた次第である。今日の講演会は文芸館主催のため、「自分史を書くヒント」という演題であったが、その周辺のお話が滋養となっている。小さい頃から遠州灘で櫓船を操り、また農作業の手伝いをされていたことがその後の野球選手としてのご活躍(首位打者を2回)、母校の監督としての「野球道」醸成に繋がる原点ではなかろうかと推測していたが、やはりそうだった。つまり、”自然との一体感”を軸足にして生きて来られたということだ。また、以前大阪の上新電機の会議室の壁に掛かっているのを見たことがあるが、松下幸之助翁の色紙に書かれていた”素直”な心も浮かんでくる。お話は多岐に亘り、約50人の聴講者はその世界に引き込まれ、うなずいたり声を出して賛意を表していた。予定の90分はあっという間に過ぎた。
 ・良き習慣は修業に勝る。
 ・原点を観る。
 ・野球を通じて人生の生き方を追求した、それが優勝回数の多さにつながるという信念でやった。
 ・朝の時間をどう使うかによってその一日は決まる。朝は金(きん)。
 ・夏の冷房は体に良くない。自然が一番。暑いときでも、熱いお茶を飲む、梅干を食べる。それが健康の素。
 ・汗をかけ、失敗を恐れるな、恥をかけ。
 ・姿は心をつくり、こころは姿をつくる。言葉にそれが反映される。
 ・”隠し”や”逃げ”、”諦め”、そして”うそ”は駄目。
 ・我逢人~道元禅師の言葉で、すべて人と逢うことから始まる~
 ・「絆」を何よりも大切にしている。
 ・「信」「義」「仁」
 などの箴言をいただいた。また会場で配布された静岡新聞・窓辺欄への連載の最終回(平成19年3月26日)は次のように締めくくられている。”偽者人間がはびこる社会は、華やかに映っても見せかけにすぎない。そんな社会とは一日も早く縁を切りたい。” 最後に著書「球心はいまだ掴めず」を出版するにあたって大変お世話になったという作家・門田隆将氏の著書が紹介された。
 ①甲子園への遺言(講談社) ~伝説の打撃コーチ・高島導宏の生涯~
 ②この命、義に捧ぐ(集英社) ~台湾を救った陸軍中将・根本博の生涯~
 ③蒼海に消ゆ(集英社) ~祖国アメリカへ特攻した海軍少尉「松藤大治」の生涯~
予定の時間を大幅に上回り、万雷の拍手で会は閉じられた。ちなみに、会場前で販売されていた著書の売上げは全額、東日本大震災の被災地に義捐金として寄付されるとのことである。今日は悪天候であったが、とにかく大きな指針と元気をいただき、気分が昂揚し心晴れ晴れとなった次第である。

「球心いまだ掴めず」(5月20日②)

スポーツとしての野球を野球道までに高めた元駒沢大学野球部監督・太田誠氏の自伝である。先月12日に浜松市南区のある食堂でバッタリとお目にかかった。自分のことを覚えていて下さっていて光栄に思った。その頃小国神社(静岡県森町)で開催中の日本画家・鳥居禮展で作品をお求めになった方を訪ねる前に1時間ほど余裕があったのでその食堂に入ったのだった。ご縁というものは不思議なものだ。2年振りだったろうか?ご馳走になった天ぷら定食は、見ると目が丸くなるほどきれいな光を放っていた。新鮮な素材、きれいな油、そして心のこもった調理、さらに恐れ多くもおもてなしいただいたこと、それらが一体となって光となるのだろう。8年前に鳥居先生のお宅でも天ぷらをご馳走になったが、あの時と同じような静かな感動だった。料理も日本美なのだ。自宅に戻って、和室の机に置いてあった太田先生の著書「球心いまだ掴めず」を読み始めた。ぐいぐいと引っ張り込むような文章の妙に魅せられ一気に読み進んだ。以下、目を見張った部分である。
 ・心の中を無にして集中しなければいけない。「空」の状態にして初めて本当のスイングは出来るのである。
 ・(練習の)量が質になる。
 ・バッテイングの基本は、いかにボールを近くまで見ることができるか、にある。.....長くバッテイング練習をやっていけば、
  必ず心と技術が統一されるときがくる。
 ・バッテイングは、線と線で点を打つ。線のイメージで打つ。
 ・ボールを受ける肉体は受身であるが、心は攻撃する。
 ・守りによって敵を攻撃することを考えた。「攻撃的守備」

太田監督は、35年の監督生活において、501勝335敗の成績だった。これは、まさに「3 対 2の法則」に合致している。
古事記の「黄泉の国」の章:自分の醜く変わり果てた姿を見られたことに怒ったイザナミノミコトがかつての夫の国の民を一日に1000人殺す、といったのに対して、イザナギノミコトは、では私は一日に1500人生まれるようにしましょう、と応えたという。1500対1000=3  対 2である。太田監督の
着地 501 勝 対 335敗 もまた、3 対2である。この数字の符合は美しい”現象”である。日本美であるともいえるのだ。この数字のプロポーションによって世の中は美しくポジテイブに生成発展するのだ。ちなみに今日は太田監督のお誕生日だ。私の長男もまたきょうが誕生日なので、この著書に監督のサインをいただいて東京に住む長男への誕生日プレゼントにしようと思い立った次第である。この本は、日刊スポーツ社刊、1,575円(税込)である。是非ご一読をお勧めしたい。
  

西遠連合報徳社の月例会が天神蔵(浜松市天神町にある浜松酒造の明治蔵。2階にギャラリーがある)であり、参加した。報徳訓の唱和で始まる。今日の講師は理事長の中村雄次氏で、「日本人女性初の海外留学生」という演題で講演された。①選ばれた5人はいずれも薩長以外の出身であった。②数え年で最年長が15才、のちに津田塾大学を創設した津田梅子は8歳であった。③会津出身の?捨松は敵の軍人・大山巌(薩摩出身)と結婚した。尾崎紅葉の「金色夜叉」のお宮の継母のモデルとなった。中村理事長のお話ぶりを聞いていつも思うのは、戦前の教育を受けられた方の思考回路の緻密さである。その背景には、漢字が
簡略化されていなかった、という枝葉的要素以前に、教育制度にあるであろう。講演のあと、昼食会に移行。酒樽を利用した円形のテーブルで幕の内をいただく。料理のそれぞれに”清らかさ”を感じる。栄養的にもバランスがとれているのだろう。”日本美”をそこに見た。午後は、奥山方広寺(浜松市北区引佐町)に移動し、「山岡鉄舟と奥山方広寺展」を見、そして関連イベントの講談2件を聞く。展示会は県と県文化財団の主催、講談は方広寺の主催である。講談の始まる前に、ご住職が般若心経を唱えられた。正座し、東北大地震の犠牲者のご冥福を祈る。帰宅すると、パリの知人より安否を気遣うメールが入っていた。


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