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ブログ

子規の句碑(3月31日)

浜松にある子規の句碑を2か所訪れる巡り合わせとなった。中区の天林寺と西区舞阪町にある弁天神社である。”馬通る 三方原や 時鳥”は天林寺の鐘楼のすぐ横にあり、子規自身の遺墨を基に彫ってある。句碑の背面を見ると、この句碑が建立されたのは昭和六年である。西暦で1931年。今年米寿を迎える勘定になる。句碑のすぐ後ろに染井吉野が太い幹でのさばっている。恐らく句碑を建立する際に苗を植えたのであろう。”訪ね来て 句碑も桜も 米寿かな” と、一句浮かんだ。いまひとつの句碑は、浜名湖畔の神社弁天神社の境内いある。子規の句はこうだ。”天の川 濵名の橋の 十文字”。明治28年(西暦1895年)、開通したばかりの東海道線の汽車に乗って
この辺りを通った時に詠んだ句らしい。ここ境内には、子規の句碑のすぐ隣が松島十湖の句碑で、”月や風や 夏しら波の 海と湖”とある。こちらは明治41年の作。

ふるさとを偲ぶ(5月29日)

浜松市立高校の校門近くに設置の石碑

”大和は国のまほろば たたなずく青垣 やまごもれる大和し 美わし” これは有名な古代の英雄・日本武尊の國偲びの歌である。ご東征のあと、もうすぐ大和だという地点で病を得たときに詠んだ歌とされている。命を終えようとするとき、走馬灯のように生まれ育った故郷のさまざまなことが思いだされるのであろう。時代と身分は異なるものの、今回の肖像画展に展示されている浜松の女流作家・鷹野つぎ(明治23年/1890年-昭和18年/1943年)も同様の歌を詠んでいる。島崎藤村創刊の「処女地」同人であった。

ふるさとよはままつ
はままつは わがふるさと
したはしき母かも
呼ぶにも似たる
なつかしのはままつ
思ひは馳する
わがふるさと

鷹野つぎは、浜松高等女学校の卒業である。現在の浜松市立高校の庭にこの歌が刻まれている。(写真)
54歳の若さで亡くなったが、大東亜戦争の戦況を心配する歌が辞世ふだろうか?
”またとなき おほき戦さの 行く先も
明らめもせで われは逝くなり”
ふるさと浜松から遠く離れた東京の江古田で亡くなったという。