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「日本画の精華・栗原幸彦展」(4月7日)

会場正面の陣容。「根尾谷の淡墨桜」屏風と孔雀を描いた「緑陰」

古代の森・小国神社で「栗原幸彦展」が初日を迎えた。2年前は花菖蒲の季節に開催したが、今回は桜の季節である。そして会期半ばには新東名が開通する。それらが相乗して、いのちのみずみずしさと気分の高揚が感じられる。射す日の光も朝など特に神々しい。樹齢数百年の杉が林立する小国神社は神社本来の姿を今なお保っており、その一角での日本画展である。今回の目玉は、日本三大桜の一つ「根尾谷の薄墨桜」を描いた屏風「淡墨爛春」(四曲一隻)である。その前に屏風作品を2点、周りの壁面に花鳥画を17~18点展示し、全体では約20点の陣容である。前回に比べ”進化”した感がある。

「遠州画人展」が森町・小国神社でスタート(3月2日)

江戸、明治から大正、昭和期に遠州地方で活動した”画人”12人の作品約30点の展覧である。今日その初日を迎えた。大谷コレクションの協力を得て実現したもので、屏風と掛軸で構成される。渡辺崋山や椿椿山の門人たちの作品である。山水画と花鳥画の世界は特にご年配の方々がなつかしそうにご覧になっていた。昨年12月に”西遠連合報徳社”の常会で森町の鈴木藤三郎(1855-1913)という発明家で報徳運動家についての講演があり、それがきっかけになってこの展示会が生まれたので、会場の中央部に”報徳のコーナー”をつくり、鈴木藤三郎と松島十湖(1849-1926)関連の資料を展示した。森町で開催することの意義を改めて考えさせられた。古代の森を擁する小國神社はまさにお清めとお祓いの空間である。樹齢数百年の杉が何本も天に向かってスッと立っている様実に神々しさを感じさせてくれるのだ。

「本朝画人伝」(12月24日)

村松梢風という作家が森町(静岡県周智郡)出身であることを知った。それは、同じく森町出身の製糖王・鈴木藤三郎(1855-1913)についての講演会の時にいただいた資料の中でだった。直木賞作家の村松友視氏の祖父にあたるらしい。インターネットで検索していてこの書にゆきあたり、注文した”巻一”が今日届いた。函絵は加山又造である。いわゆる造本がきれいで品がある。全五巻で、尾形光琳から始まって計48人の画人が紹介されているようだ。日本人として基本的な素養を遅ればせながら修得できればと思う。というか、昭和15年に刊行された本を通じて、かつての美しかった日本を偲ぶよすがとしたい。敗戦によって破壊されたかつての日本人の美意識を呼び戻してみたい。

パウル・クレー(12月18日)

パウル・クレー「パルナッソス」(1934年)

今日はスイスの画家パウル・クレー(1879-1940)の誕生の日である。絵を描くばかりではなく、ワルター・グロピウスという建築家がドイツのヴァイマールに創設したバウハウス学校の教授も務めた。同僚にカンデインスキーやファイニンガーもいたのではなかったか。ある時からナチスに睨まれてドイツから故郷ベルンに戻った。この町は、スイスの首都でありながら空港がないというドイツ語圏の変わった町である。、そこで後半生を過ごし、多くの作品を制作した。絵画の中に文学的また音楽的要素が入り混じる、いわば総合芸術的な作品を産み続けた。6年ほど前にはクレー作品の40%(約4,000点)を収蔵する専門の美術館が建てられた。イタリアの建築家エンゾー・ピアノの設計による
パウル・クレー・センター(Zentrum Paul Kleee)である。
  http://www.myswiss.jp/jp.cfm/culture/museums/offer-Museums-ArtMuseums-215825.html
この作家は日本でもとても人気が高い。具象よりも抽象がが多いのであるが、色彩のリズムがいいのと、また頭で作品を観る傾向の強い日本人の知的好奇心にも応えてくれるからだろう。バイオリンの名手でもあったらしく、それが画業にもいい形で作用しているのだろう。
     * 日本パウル・クレー協会に是非ご入会を! http://www.paul-klee-japan.com/

「モナ・リザ」との遭遇(11月29日)

山田潔画伯模写による「モナ・リザ」

ルーブル美術館は名画の宝庫である。かつてパリに赴任していた時は、休日ばかりでなく、会社(Y社)からの帰りにもよく通った。水曜日は
夜の9時まで開いているので有難かった。夜の時間帯は観光客もいず、ほぼ貸切状態だった。入口の階段を上ると「サモトラケのニケ」が
翼を広げ、そこをすぐ右に折れて階段を数段踏むと、ボッテイチェルリのフレスコ画が迎えてくれ、疲れた神経を優しく癒してくれた。美的体験の有難さを味わった。当時はもう「モナ・リザ」はガラスの囲いで覆われていたが、そのルーブルで若かりし頃、むき出しの「モナ・リザ」を前に古典技法で模写修業をした日本人がいる。全日本肖像美術協会会長で、我がインフォテイメントの事務所からほど近い所にアトリエを構える山田潔画伯だ。22年前、パリに赴任する前にあるフランス人女性からフランス語を教わったのであるが、そのご主人が山田画伯であった。応接間に「モナ・リザ」の模写が立てかけてあり、それを観ながらフランス語のレッスンを受けたのだった。「モナ・リザ」は
今も、山田画伯邸の応接間で微笑み続けている。

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