文化・芸術イベントやアート・絵画イベントの企画・運営ならアートフォースM&Kにお任せください。日本を 

サイト内検索 ホームページ制作・スマホサイト制作・CMS サイト管理画面

トップページ > ブログ > 絵画

ブログ

4/6ページ 全部で27件中 16-20件を表示
資生堂アートハウス(6月26日①)

横山大観筆「くよく」(昭和22年、51.0x65.0cm、絹本彩色)

掛川市にある資生堂アートハウスで開催中の「日本画展~春から夏へ~」を観覧した。今日が最終日である。この施設は、資生堂の掛川工場の建設計画と抱き合わせで作られたものだ。経済活動+文化活動というコンセプトのようだ。資生堂が
持っているコレクションの中からテーマに沿って選ばれ展示される。建物は新幹線の中から見えるが、とてもユニークで、展示スペースの建物は外から見るとお椀を伏せたような形で、全体が芝生で覆われている。今回の展示の目玉は横山大観の「くよく」であろうか。昭和22年の作で絹本彩色である。白椿の枝にとまった鳥を描いている。気品あふれる作品である。何故か椿の葉が生彩に欠け青々としていない。終戦直後の国土の興廃が反映されているのだろうか?一番数が多かったのは上村松こう、次に山本丘人、奥村土牛らである。山本丘人は新興大和絵展(大正15年/1926年)に出展した作家らしく、大和絵の楚々とした清らかさが作品全体にあふれていて、日本だなあと感じさせる。徳岡神泉の「菖蒲」は、パウル・クレーの「青い花」を連想させ、自然界を統べるその本質を描こうという気迫が漂っている。今日は日差しが強かったが、こうした日本画の世界にしばし浸れる時間を有り難いと思うのみである。


岡倉天心記念五浦美術館(6月20日)

北茨城にある岡倉天心記念五浦美術館も今回の大震災で大きな被害を被ったようである。あの赤い色の六角堂は流されてしまったという。たが、美術館の建物自体は損壊を免れ、展示品も無事だったようである。不幸中の幸いである。ただ、駐車場やアプローチなどが地盤沈下や液状化現象などで修理が必要なため現在閉館となっている。ここは日本画の革新運動の中心人物だった岡倉天心(文久2年/1863年~大正元年/1913年、マーラーや柴五郎の同時代人!)が興した「日本美術院」縁の地であり、いわば”聖地”である。橋本雅邦や横山大観、下村観山.菱田春草らが赤貧に耐えながら高い志に燃え活動した場所である。岡倉天心の墓は大丈夫だっただろうか?その墓は最初、東京染井に置かれたが、以下の辞世の句に沿って五浦に分骨されたという。
 ”我逝かば花な手向けそ浜千鳥
  呼びかふ声を印にて
  落葉に深く埋めてよ
  十二万年名月の夜
  弔ひ来ん人を松の風”

パウル・クレー展(5月22日)

スイスのベルン郊外に立つパウル・クレーセンター

スイスの画家パウル・クレー(1879-1940)の展覧会「パウル・クレー おわらないアトリエ」が京都での会期を終え、今月31日より東京国立近代美術館で開かれるという。生涯で約9600点もの作品を生み出したが、それらは作家自身によって克明に記録され、目録として残っているという。今回の展覧会は、その制作のプロセスがわかるように展示されている。会期は7月31日まで。クレーの作品は、深海にもぐった時に遭遇するという、あるいはいくつもいくつも山を越えてたどり着いた神域で出会うような、そんな日常を超えた視点で初めて”観えてくる”ビジョンのような、そんな印象を持っている。ナチスがそんなクレーの作品を”退廃芸術”(Entartette Kunst"として取り扱い、犯罪人のように市中を引き回し、あげくの果ては500点ほど略奪したという。それは単にクレーがユダヤ人であったからだ。向こうの地の土着の人間は、”さまよい人”(Wanderer)をいぶかしみ、あるいは嫌悪するのだろう。惻隠の情などないのだろう。3年前にベルンのPaul klee Museumを尋ねたとき一番
惹きつけられたのは「青い花」(Blaue Blume)であった。

フェルメール《地理学者》(5月19日②)

渋谷・東急文化村ミュージアムで「フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展」を開催中だった。入場料1500円であったが、木曜日だというのに会場は”イモ洗い状態”だった。入り口近くにハッとする作品があったが、それはレンブラントの《サウル王の前で竪琴を弾くダヴィデ》だった。フランクフルトのシュテーデル美術館から借りてきたという多数のオランダ風景画や肖像画、静物画が展示されていたが、さして興味も惹かれなかった。目指すフェルメールの《地理学者》の前は
柵の結界が設けられていて人だかり状態であった。8号位の小品で、照明の反射がないように工夫されていた。大航海時代の資料として、この作品に描かれている地球儀や部屋の壁紙、そして地理学者が纏っている衣服などについてビデオで解説を加えていた。以前フランクフルトの上記美術館で見たはずであるが、そのときのことは記憶にない。レンブラントと同様、
光の効果をうまく使っていて画面に求心力がある。デルフトの青を思わせる衣服が画面の中央にあるのも効果的だ。東急文化村の建物は静岡グランシップと同様、”船”がコンセプトとなっており、大航海時代に制作されたフェルメールの作品を展示するのにはふさわしい場所である。今月22日で会期が終了する。

壁画・明日の神話(5月19日)

岡本太郎の巨大壁画「明日の神話」(1969年作)を初めて見た。井の頭線・渋谷駅に幅30メートル/高さ5.5メートルの色鮮やかな作品が常設されている。原爆投下の悲劇がテーマだ。大阪万博(1970年)のメインゲートの前に設置された「太陽の塔」と同時期に制作されたこの壁画は8年前にメキシコで発見された。帰国・修復後どこに展示するかで広島、大阪、そして東京(渋谷)で競ったようである。昭和20年(1945年)8月、アメリカによる人類史上初めての原爆投下であった。この大虐殺は国際法違反の国家犯罪である。ドイツに投下せず、日本に投下したのは、根底には黄色人種に対する人種差別がある。その蛮行を描くには、やはりこれだけのスケールが必要だったのだろう。メキシコの壁画家・シュケイロスとも交流があったに違いない。ナチスによる虐殺を描いたピカソの「ゲルニカ」を意識しながら描いたのだろうと想像する。マドリッドのプラド美術館別館で「ゲルニカ」を見たことがあるが(1982年)、モノクロで幅もこの「明日の神話」の半分以下であったろうか。岡本太郎の「明日の神話」は、ミロやカンデインスキーの作風を想起させる。この大作はしかし、前を通る群衆の誰一人として見上げようとせず、ただ急ぎ足でそそくさとすぎてゆく。「太陽」と「原爆、両者に共通するのは”核融合”である。自然の核融合である「太陽」の塔を見たのは、というかその目の前のあるレストランでアルバイトをしていたので、万博会期中は毎日眺めていた。早朝にカラスが塔に止まっているのを見て、映画の羅生門の廃墟を想像したりしていた。一対の作品のかたわれである「明日の神話」を見るまで実に40年のインターバルがあった。しかも福島の原発事故の後に見る機会が訪れようとは...。この作品の副題は「ヒロシマ・ナガサキ」というらしい。「明日の神話」ではよく解らない。

4/6ページ 全部で27件中 16-20件を表示