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富士と桜(1月13日)

昨年11月8日に亡くなった島倉千代子さんが歌う「愛国の花」を聴いた。美空ひばりと並ぶ”日本の声”であると改めて思った。この曲は、彼女が生まれた頃に流行った歌である。”真白き富士の気高さを こころの強い楯として 皇國に尽くす女等(おみなら)は 輝く御世の山桜地に咲き匂う国の花”日本美の象徴である富士と桜が見事にここに謳われている。福田正夫の詞に後に(昭和39年)東京オリンピックの行進曲を作曲した古関裕司が曲付けをした心洗われる名曲、国民歌謡である。それを歌う島倉千代子のその歌声は、渡辺浜子や淀かほるらの声に比べるといささか艶っぽさが加わっていて、それはまた心を捕える魅力がある。心よりご冥福をお祈りいたしたい。

ワーグナー生誕200年(5月22日)

リヒャルト・ヴァーグナーの生家

今日はドイツの偉大な作曲家リヒャルト・ヴァーグナーの誕生の日である。ちょうど200周年となる。右の写真はライオンハウスといってライプチッヒにあった生家である。若い頃パリに出て活動していたが、辛酸を舐めた。そのパリ時代に書いた”ベートーヴェン詣で”がその思想の原点であろうか。ベ^トーヴェンの「第九」についての論文もあり、音楽の中の神秘性についても言及している。その結果、娯楽的要素が主体の従来の歌劇ではなく、ドラマを主体とした楽劇(Musikdrama)を創案、「ニーベルンゲンの指輪」という四部作の大作や最後の作品となった舞台神聖劇「パルジファル」など精神性の高い作品が多い。彼の人生そのものがドラマ性に満ちていたようであり、巨人的存在である。

2月13日という日(2月13日)

ドイツの作曲家リヒャルト・ヴァーグナー(1813-1883)

2月13日というと、頭の中で作曲家リヒャルト・ヴァーグナーの亡くなった日だ、とまず思う。1883年、ちょうど130年前のことだ。卒論のにテーマが作曲家グスタフ・マーラーだったこともあり、音楽に密に関係した会社に就職。27才の時、ドイツに駐在員として赴任。1978年だから、もう35年前のことだ。翌年の夏休みに車でドイツ人作曲家縁の地を巡った。バッハの生地・アイザナッハ、その墓があるライプチッヒ。ライプチッヒではヴァーグナーの生家を探した。また、マーラーが交響曲大一番を完成した家など。ヴァーグナーの聖地・バイロイトにも足を延ばし、祝祭劇場やヴァーンフリート(Wahnfried)という住居を訪ねたりした。ヴェニスに行った時には、ヴァーグナーが息を引き取った家を訪ねたり...。その割には、日本のことが御留守になっていた。自分が生まれた日本という国の人物に関連した日でなく、西洋の人物のことの方が頭を占拠している、という奇妙な現象...。

モーツアルト(1月27日)

ザルツブルグの町並み

今日はモーツアルトの誕生の日である。18世紀の中頃(1756年)にオーストリアのザルツブルクという
町に、音楽家のレオポルト・モーツアルトの長男として生まれた。35年の生涯で626曲の作品を世に遺した。その生まれ故郷ザルツブルクがユネスコによる世界遺産に指定されたのは、モーツアルトの名声に負っている部分も少なくはないに違いない。その生家(Geburtshaus)は今は記念館になっている。かつて一度訪ねたことがある。向こうの家屋は石造りでとても堅固である。石の階段を昇っていった。友人のヨゼフ・ランゲが描いた寂しげな晩年のモーツアルトの肖像画(横顔、未完)が印象的だった。あの音楽は、音楽が音楽らしくあった時代の象徴のように、明るく弾んでい、そして時折その真逆の表情を見せるのである。最後のシンフォニーの最終楽章の主題が好きだ。今、頭の中で雄々しく鳴り響いている。日本の桜の風情そのものだ。

音楽評論家・吉田秀和氏の訃報に接して(5月25日)

音楽評論家の吉田秀和氏が亡くなった。22日だったという。不思議なものだ。ちょうどその頃だっただろうか、ある本屋で超久しぶりに「レコード芸術」を手にとり、氏の批評文を眼にした。ご健在なんだなあ、と感慨を覚えた。ベートーヴェンの交響曲第五番やジュコメッテイの彫刻のように、無駄なものをそぎ落とし、直截な表現が際立っていらした、高く聳え立つ名文筆家であった。ガ~ンと脳天に稲妻を受けたような衝撃をその文章から始めて受けたのは、あれは昭和48年(西暦1973年)の暮れだったろうか、場所は三ノ宮の駅ビルにある本屋だった。「ラジオ技術」誌に吉田秀和氏の「グスタフ・マーラー」の連載第一回目が載っていたのだ。Erwin Ratzというドイツの音楽学者の”Gustav Maheker"を引用しながら巧みに論旨が展開されていた。ちょうど卒業論文で「グスタフ・マーラー」をテーマにしていたので、その文章の凄さを実感した。こわいもの知らずで、年賀状を書いたところ、何と踊るような勢いのある筆跡で奈良の下宿に返事が届いた。ビックリした。氏の姿を初めて近くで観たのは、氏が館長を務めることになった水戸芸術館のこけら落としコンサートの会場だった。当時の佐川・水戸市長から招待券をいただく巡り合わせがあり、ちょうどパリから帰国した翌日だったので、ラッキーなことにその恩恵に浴することができた。ハイドンのチェロ協奏曲だったが、小澤征爾指揮・水戸室内管弦楽団の演奏だった。独奏は堤剛だったか?その演奏が始まる前に客席から吉田秀和氏が舞台の上に上がられ館長としてのあいさつをされた。力のこもった実に勢いのある話しぶりだった。多くの人材を育て、啓蒙の文章を綴り続けた人生だっただろうか。ご冥福をお祈りいたします。

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