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ささやかな「日本博物館」(3月4日)

昭和20年8月の(日ソ中立条約を無視した)ソ連侵攻により”古郷”国後を追われた日本人が残していった雛人形や急須など。かつてこの民家では雛祭りが祝われたのであるが、その持ち主の心は今も引き裂かれたままなのである。

安曇野に向かう途中、島崎藤村の「夜明け前」の舞台となった馬籠を訪れた。

二宮尊親(2月18日)

興復社二宮農場の創設者二宮尊親は、二宮尊徳の孫として、安政2年11月16日、現在の栃木県今市市に誕生。明治29年興復社再建のために北海道開拓を決意し、社員等4名とともに渡道。明治30年牛首別興復社の設立認可を受け、3月3日第一期移住民15戸を引率し、4月8日牛首別原野に到着。この年郷里から家族を呼び寄せ、茂岩に居住することとなった。以来明治31年第二期入植者23戸、明治32年第三期入植者14戸、明治33年51戸、明治34年14戸と続いて入植し、尊親自ら陣頭に立って寝食を忘れて指導に当たった。明治40年入植以来10年にして開拓の方向も定まり、各農家も経営の安定を見るに至ったので、福島県中村に転住。その後は年に数回実情の把握および指導のため現地入りしたのである。この間、十勝にあっては農会長、学事会員、その他の公職に推され、依田勉三、関寛斎らが尊親を訪れたこともあった。郷里に帰った後も、尊徳遺稿一万冊の整理、「二宮尊徳遺稿」の編集著作に専心する傍ら、農業関係、金融関係、教育関係の公職及び実務に当たり、現西宮市報徳学園の二代目校長などを務め、大正11年11月東京において68歳で病死した。

亀之丞の隠れ岩(2月12日)

井伊家23代の直親がまだ9歳の時(幼名=亀之丞)、父の直満が今川に殺された。龍譚寺の縁のある信濃の松源寺まで逃げた時、井伊谷からまず渋川へ向かう山道(蓬莱寺海道)の峠にある大岩で追手の目から逃れ一夜を過ごしたという。井伊谷から約8Kmの地点にある。最近になって標識も整備された。

アメリカを「美国」と表記するが、とんでもない。アメリカはとんでもない野蛮な国だ。69年前の今日、広島や長崎に原爆を落とし民間人を30万人も殺傷、そしてその5ヶ月前の3月10日、”奇しくも”というか、陸軍記念日(明治38年の日露戦争での陸戦勝利の日)のこの日を狙って東京大空襲を行い、やはり民間人10万人を虐殺。国際法無視もはなはだしい。”安らかにお眠り下さい。過ちは繰り返しませぬから。”という碑文は、GHQによるWGI政策(War Guilt Information)による日本人洗脳の賜物だ。仇を取りますから、なら話は分かる。日本という独立した文明国の文化をことごとく破壊したつけは、やがてブーメランとなって自分の面に戻ってくるだろう。いまだ原爆投下に対するアメリカからの謝罪はない。である限り、アメリカは合衆国ではなく、合”醜”国のままであろう。

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