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ブログ

映画編集という仕事(2月2日)

フィルム編集中の浦岡敬一氏

先般亡くなった大島渚監督の作品の多くを編集した浦岡敬一先生は晩年を浜松で過ごされた。知己を得たのはちょうど14年前のこと、ある蔵のギャラリーで「黒澤明絵画展」を開催中のことだった。それがご縁でその2年後に同じギャラリーで「浦岡敬一の仕事展」をプロデユースさせていただいた。ご自身の仕事展に寄せられた氏の”ごあいさつ”文がなぜか昨日書類の間からひょろっと現れた。~映画は生病老死、喜怒哀楽を表現するものだと言いますが、私の映画生活は、その通り人間を見つめ続けて来た日々でした。それは、フィクションのドラマに心をぶち込んで過ごした50年でもありました。どの作品にもある主義主張を明確に表現するためには、編集という作業は、単にフィルムをつなぎ合わせればいいものではなく、理論に沿って構築された映像表現芸術であらねばなりません。~日本映画編集協会設立に携わり、初代の理事長に就任、編集という仕事の社会的地位の向上に尽力された氏の言葉は重い。今頃は、天国で大島渚監督となごやかに談笑されていることだろう。

映画ポスター展(2月1日②)

美空ひばり主演「伊豆の踊子」ポスター

日本で有数の映画ポスター収集家・中川研一氏(静岡県磐田市在住)が浜松市内でコレクションを公開しているという。アクトタワー近くの香爐(*)という喫茶店が会場である。今日一日限りの”美空ひばり主演映画”のポスター12枚の公開である。名前を知っているのは「伊豆の踊子」や「花笠道中」くらいであったが、今となってはそれぞれが希少価値である。店内は大きなソファがいくつもあり、50席ほどを擁する懐かしい雰囲気の高級喫茶店である。ブレンド・コーヒーも美味しかった。ちょうど磐田から来ていた中川氏と久しぶりにしばし歓談。このような地味で堅実な活動をしている人者がその地域の文化を底支えしているのだ。 *浜松市中区板屋町522 電話:053-413-1131 駐車場5台分有り

今日は長崎に原爆が投下された日である。広島への投下から3日後、別の種類の原爆が実験された。ドイツには投下しなかった核爆弾を、黄色人種の国・日本に投下した。人種差別である。「八月のラプソデイー」とは、黒澤明監督の作品のタイトルだ。核をテーマにした作品をもう二作、黒澤監督は作っている。「生き物の記録」と「夢」である。

青い山脈(7月5日)

石坂洋二郎の青春小説「青い山脈」は、昭和24年を最初に5階ほど映画化されたようだ。その昭和38年版をビデオで見た。まだあどけない顔の吉永小百合が主演、芦川いづみが教師の島崎雪子を演じている。主題歌は、作詞がなんと西条八十、作曲が服部良一である。当時の映画は見たことがないが、なぜか主題歌は脳裡に焼きついている。実に明るいトーンの
歌だ。誰もがいつでも口ずさんでみたいような軽快なメロデイーである。焦土と化した敗戦後の暗い日本に射した光明のようなものだったかも知れない。2番の歌詞が、その本質を象徴しているようだ。”古い上衣よ さようなら さみしい夢よ さようなら” 戦前の価値観を古い上衣として否定し、占領国アメリカの価値観を夢多き青い山脈=新しい衣と描いているようだ。しかし、その新しい衣は60数年を経たいま、古くなっているようだ。

1 若く明るい 歌声に  
  雪崩は消える 花も咲く
  青い山脈 雪割桜
  空のはて
  今日もわれらの 夢を呼ぶ


2 古い上衣よ さようなら
  さみしい夢よ さようなら
  青い山脈 バラ色雲へ
  あこがれの
  旅の乙女に 鳥も啼く



”河童ドキア”(12月25日)

米の文化を育む稲穂の波(浜松市北区都田町、筆者撮影)

「米米CLUB」のリーダー・カールスモーキー石井こと石井竜也が1995年に映画「河童」を制作した。日本に伝わる河童伝説を題材にして、親子の絆、友情、地域の共同体などを描いた作品だ。ロケは石井氏出身の北茨城で行われた。その現場を'96年2月に訪ねたことがあるが、日本にもまだ昔ながらの素朴で美しい田園風景が残っているのを発見し感動したことが
思い出される。今から思うと、あの映画のテーマは『日本』だったのではないかと思ったりもする。明治以来の近代化路線、大東亜戦争敗北後の経済復興/高度経済成長路線によって変貌する日本の姿にある種の違和感を持ち、時代が変わっても大事に守っていかなければならないものを作品の中に”タイムカプセル”として表現したのではなかっただろうか?ドイツやフランスという異国の環境下で10年以上も生活した身にとって、この映画は”日本回帰”のための大事なきっかけとなったように思う。感謝したい。
石井氏は本来画家志望で、文化学院で学んだ。造形のヒントを自然の中に求める。映画制作プロダクションの名前を”CAPPADOCIA"としたのも、トルコの名勝”カッパドキア”を訪れた経験に基いているのかも知れない。