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オカルトというのは、超感覚的認識と言えばいいだろう。唯物論に立脚するマルクス主義とは相い容れないものである。渡辺昇一先生のご講演の中で「本居宣長は三十数年間古事記を読んでいるうちにそれがオカルト的に書かれていることに気付いた」とおっしゃっている。渡辺先生はイギリス留学中にエジンバラでシュタイナー思想に出会ったお方である。
音楽とオカルティズム(令和2年10月25日)

日本楽器製造㈱渋谷店でのレコードコンサート、1976年8月28日

昭和49年(西1974)4月、日本楽器製造株式会社(現・ヤマハ株式会社)に就職。一ヵ月の研修(机上+現場)の後、東京支店渋谷店オーディオ係に配属された。オーディオ・ブームたけなわの頃で、2年半ほど小売り業務(店売りと外販)の両方を経験。個人の売り上げでは、全国16店ある中でトップの成績を収めた。その傍ら、新製品の発表を兼ねて「クラシック・コンサート」を企画・運営。10回目のエリック・サティの企画をしたところで本社(浜松)ステレオ輸出課への転勤辞令が出た。当時エリック・サティはまだブームにはなっていなかったので、いわゆる先駆け的イベントだった。この時は生のピアノ演奏で、高橋祐冶の妹の高橋アキさんに弾いていただいた。東京への出張を作って会場に行った記憶がある。右の写真は、第6回目の「リヒャルト・ヴァーグナー、音楽とオカルティズム」の時の会場風景である。講師は、その3年前に慶応義塾大学文学部教授を退職しルドルフ・シュタイナーの研究に専念されていた高橋巌先生にお願いした。
日本一の夕焼け(10月23日)

大須賀町(掛川市)での「ちっちゃなちっちゃな文化展」を見た後の帰り道、旧豊岡村を抜けて行った。天龍川の堤防に出てすぐのところに駐車場があり、そこからの夕焼けを見た。きれいで美しかった。時刻は午後4時43分。空気が澄み、眼下には悠然とした天龍の流れ。かつてこの地区に公演で訪れた役者の宇野重吉(1914-1988)が「日本一の夕焼けだ!」と感想を述べたという。この場所には旧豊岡村役場からの依頼でクリスマス・年末シーズンのための照明塔(高さ10メーートル位の木製三角錐)を作ったことがある。その時に誰かから聞いたエピソードだった。ちなみに、その照明塔を建てる作業の中心を担ってくれたのが石彫家の耳塚信博氏だった。北遠の水窪に工房を構えていたが、今は故人となってしまわれた。改めましてご冥福をお祈りいたします。
ちっちゃな文化展(10月23日)

旧清水邸茶室でのマクラメ展示、鈴木真弓作品

この文化展は秋のこの時期に開かれ、もう20年くらい前から続いている。ちょっとさびれた感のあった横須賀街道(掛川市、旧小笠郡)ににぎわいと交流の場を創出し定着していたが、今年は武漢ウイルスのあおりを食った。掛川のお殿様も金を借りにきたという豪商の清水孝一郎氏の旧邸(通称・清水邸)だけに会場を絞った形となった。7名程の作家が街道に面した茶室や二階の小部屋、そして奥にある蔵などにそれぞれの作風を演出していた。写真は、マクラメ作家の鈴木真弓氏の最新作で、10畳の茶室を使ってのインスタレーションの一部である。①畳10畳のホリゾンタル ②床の間のバーティカル ③障子戸が開け放されて見える街道という借景などをうまくブレンドしての空間処理は説得力があった。展示された作品のほとんどが白無垢であったのに対し、床の間の作品には赤の太い巻き糸が縦に入っていて「たぎる命」を感じさせ求心力が漂っていた。今年古希を迎えた作家の円熟度が感じられる作品だ。以下、日本で唯一マクラメを商いしているというメルヘンアート社のホームページより~ マクラメとはアラビア語の「ムクラム」(格子編)に語源があり、「交差して結ぶ」という意味があります。大昔の「ひもを結ぶ」という知恵が、長い時間をかけ、沢山の経験がこの技術の上に積み重ねられてきました。猟をする人は獲物を捕まえるために、布を織る人は縁を丈夫にするために、船を操る人は帆を上げるために、みんなが必要な技術を考え出し、あるいは偶然見つけ出してきたものです。そんな「結び」の技術が商隊や船乗りによって世界中に広められ、今に至っています。日本でのマクラメの歴史も古く、正倉院御物や鎧などに残されています~
愛媛県立松山東高等学校校歌(10月18日)

我が母校・松山東高校新校舎、正門左手に安部能成の胸像がある

母校・松山東高校は伊予松山藩の藩校を源とし、松山中学となった明治11年(1878)を創立年とする。戦後数年間松山商業高校と統合されていたが、それが解消された昭和28年(1953)に今の校歌が制定された。今日そのことを知った次第である。作詞は、松山中学の卒業生で美術エッセイスト・画商の洲之内徹(1913-1987)、作曲は近衛文麿元首相の異母弟で作曲家・指揮者の近衛秀麿だった。洲之内徹は小林秀雄や白洲正子らからその評論家としての文才を称賛されていた。作曲の方は、同じく松山中学の卒業で学習院院長を当時務めていた安部能成(1883-1973)からの依頼であったろうと推測できる。

愛媛県立松山東高等学校校歌

                     州之内徹 作詞         近衛秀麿 作曲 

眉きよらかに 頬はあつく

いのちまた 燃えたり かかる日の

かかる朝なり 青雲の思ひ

流れやまず 流れやまず

茜明けゆく そらのはたて

 

学舎(まなびや)の庭 春たけたり

千筋なす 青柳 風吹かば

掛けしたて琴 弦(いと)のひびき

鳴りわたりぬ 鳴りわたりぬ

いのち秘めにし 若き調

 

誇はたかく 夢はふかく

われらここに集ふ ここにして

唇(くち)に歌あり ここにありて

日は美(うる)はし 日は美はし

光もとめて 生くる月日

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