北茨城にある岡倉天心記念五浦美術館も今回の大震災で大きな被害を被ったようである。あの赤い色の六角堂は流されてしまったという。たが、美術館の建物自体は損壊を免れ、展示品も無事だったようである。不幸中の幸いである。ただ、駐車場やアプローチなどが地盤沈下や液状化現象などで修理が必要なため現在閉館となっている。ここは日本画の革新運動の中心人物だった岡倉天心(文久2年/1863年~大正元年/1913年、マーラーや柴五郎の同時代人!)が興した「日本美術院」縁の地であり、いわば”聖地”である。橋本雅邦や横山大観、下村観山.菱田春草らが赤貧に耐えながら高い志に燃え活動した場所である。岡倉天心の墓は大丈夫だっただろうか?その墓は最初、東京染井に置かれたが、以下の辞世の句に沿って五浦に分骨されたという。
”我逝かば花な手向けそ浜千鳥
呼びかふ声を印にて
落葉に深く埋めてよ
十二万年名月の夜
弔ひ来ん人を松の風”
- POSTED at 2011年06月20日 (月)