「森岡の家」とは、遠州の渋沢栄一と呼ばれる平野又十郎(嘉永六年~昭和3年)が明治22年に建てた邸宅で、当時入手できる最高の部材が使われている。遠州一の腕前の大工の棟梁が建てた。そして、平野又十郎は二宮尊徳の報徳思想に基き「同心遠慮講」という貯蓄組合を作り、地域の経済と文化振興に尽力、近くの薬師堂と共に自分の屋敷をその活動の場とした。つまり、般若心経で云うところの「色」(目に見えるもの)としての①邸内の樹木郡 ②邸宅・建築物、そして「空」(目に見えないもの)としての③報徳活動を
通じての社会貢献、これら三つが「森岡の家」が擁する文化的価値なのである。のちに長男の繁太郎氏から旧浜北市に保存することを前提に1993年に寄贈された時、その土地の字名が「森岡」であったため、「森岡の家」と称されることとなった。
- POSTED at 2020年09月23日 (水)