の根幹を破壊され続けている。その発端が井伊大老が推進した通商条約だったのである。いまでいうとTPPを推進することに通じている。200年以上も鎖国を続けていたために白人列強と闘うための十分な軍事力がなかったというのが井伊直弼の言い分であったが、守るべきものの優先順位が日本という国の国柄に沿っていなかったのだ。そのあたりの見識が水戸の徳川斎昭や越前の松平春嶽とは異なっていた、というか脆弱であった。水戸には、湊川神社に楠木正成公を祀った光圀公に代表されるように勤皇の志の流れがあり、「大日本史」編纂事業など学問の蓄積がある。”矛とりて 守れ宮人 九重の 御階(みはし)の桜 いま盛りなり”という孝明天皇様の御製にも呼応しているところがある。事件は桃の節句の日,季節外れの雪が降りしきっていた。万延元年(1860年)、今から約150年前のことである。ちなみに、井伊直弼の首級を獲った
薩摩の有村次左衛門(当時21才)は、参議院議員・有村治子氏(http://www.arimura.tv/)のご先祖にあたる。
- POSTED at 2011年09月11日 (日)