晩年、といっても35歳の短い生涯であったが、モーツアルトは経済的に困窮の極みにあった。スポンサー的立場にあったザルツブルグの大司教との軋轢がその遠因にあったのだろうが、自らコンサートを企画、運営をも自前でやらなければならないほどであった。写真はその時の入場券である。自宅のすぐ近くのレストランを借りて数回のコンサートを開いたのであるが、その旨を謳ったレリーフを飾ったレストランは今も残ってる。死の床でも、依頼を受けた「レクイエム」を作曲していたという。このチケットは金銭的な窮乏から抜け出し”創作の自由”をつかもうというモーツアルトの強い願望と意志を如実に象徴しているように思われる。
ヴィーンの冬は底冷えが厳しい。3年前の滞在の折には、10分位外を歩いても頭がきつく締め付けられるようだった。国立歌劇場で”ドン・ジョバンニ”がかかっていたので”スーへ”(ドイツ語で 探す の意”でチケットを入手。天井桟敷の席だったので、椅子から立ち上がらないと舞台は観えなかったものの、充分に楽しめた。モーツアルトの魂が近くにいるようだった。
- POSTED at 2010年12月08日 (水)