- POSTED at 2013年04月28日 (日)
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歴史
戦国の世の風雲児・織田信長(4月28日)
”応仁の大乱より後、百年の間、戦国紛乱、群雄割拠の世であった。といいますのは、つまり日本という国が統一を失って、分裂し、分解していたということであります。その分裂分解の状態から、再び統一を取り戻す為には、当然中心が無ければなりませんが、中心は幸いに在るのです。天皇がおいでになるのです。その天皇を奉じて天下を統一する武力が必要でありますが、是れが中々出て来なかったのでした。戦国の群雄の中で、特に戦力の強豪を以て謳われた者は、甲斐の武田信玄と、越後の上杉謙信とでありました。両人とも、天下の統一に貢献したい希望もあれば、自信もありましたが、然しそれは足利将軍を補佐し、その下で働くという考えで、まだ室町の旧体制から脱却して居らず、猶またその武力も到底四海を制圧するには足りませんでした。ところが尾張に織田信長が出るに及んで、初めて統一の機運が動いて来ました。” ~今泉澄きよし著「物語日本史」(講談社学術文庫)より