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日本楽器社訓(令和2年4月22日)
日本楽器社訓(令和2年4月22日)

川上嘉市氏

日本楽器製造株式会社(ヤマハ)は、明治20年(1887)創業なるも、2代目社長・天野千代丸氏の時、我が国最大規模といわれた労働争議が勃発した。今を遡る事丁度94年、大正15年(1926)4月22日の午後であった。105日間に亘る争議の後天野社長が退任、三代目社長に就いたのが地元浜松出身の川上嘉市氏(明治18年/1885~昭和39年/1964)であった。数々の改革を断行し、12年後の昭和14年に社訓が制定された。『本社に勤務する者は 勉学修養を心掛け 親切至誠を以って事に当り 職務を愛好し 実行に敏に 特に規律協同を尚び 不撓不屈の精神を以って工夫改善に志し 業務を通じて国家社会に貢献し 以って有用の材たらむことを期すべし ~ 昭和25年(1950)に発表された新社歌にも「業務を通じて社会に尽す いみじき社訓は我らの指針」の一節があり、嘉市氏の理念は継承されている。その源は、嘉市氏が大学を出て社会人になった時に自らに課した戒律にみることが出来る。一.正義をあくまで貫き徹すこと 二.自ら世の塩となること 三.業務を通じて国家社会に貢献すること 四.自己を完成するとともに、後進の人生の完成を助けること 五.日本の文化水準を引きあげること 六.社会的経綸をもつこと

  • POSTED at 2020年04月22日 (水)