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身土不二(5月24日)
身土不二(5月24日)

和洋菓子の製造販売会社「たこまん」さんの店頭(浜松市中区佐藤町)に『身土不二』と揮毫された扁額が架かっている。「郷土の恵まれた自然のもとで育てられ,旬の季節に採れた素材を新鮮なままに味わうこと」[同社ホームページより]  つまるところ「地元産のものを食しましょう」ということである。拡大解釈すれば、「国産品を愛用しましょう」「自国の文化を大切にしましょう」ということだろう。絵画の世界ではどうだろうか?岩水寺(浜松市浜北区根堅)境内に渡辺崋山の孫弟子・山下青崖画伯(1858-1942)の顕彰碑(記徳碑)がある。それが建立された昭和6年(1931)3月に浜松を会場に全國産業博覧會が始まった。この博覧会の開催趣意書は、時の浜松市長で大日本報徳社副社長を務めていた中村陸平氏によって次のように謳われた。「わが國産業の現況を展開公示して、国産の愛用および本邦産業貿易の進行発達に資すると共に、現下我国経済難局打開の一助たらしめんとす」(神谷昌志編著「見る読む浜松歴史年表」)。森町の鈴木藤三郎は砂糖を、湖西の豊田佐吉は織機を、浜松の山葉寅楠(紀州出身)はオルガンやピアノを国産化して日本の国益に大いに資献した。青崖さんは画業において日本回帰(脱・支那、南宋画から日本画へ)を果たした訳である。皆遠州の先人で「日本精神」の権化のような方々だった。そして、二宮金治郎(尊徳)の報徳精神を信奉していたのだ。報徳の人・松島十湖翁とコラボした青崖さんも報徳精神=日本精神を作品化したと云えるだろう。その本は「至誠」である。であるゆえに青崖さんの作品には清らかさと透明感があるのだ。ちなみに、「たこまん」社の平松社長も報徳の人である。


  • POSTED at 2020年05月24日 (日)