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明治の一新(5月30日)
明治の一新(5月30日)

平櫛田中作「岡倉天心胸像」昭和6年、ブロンズ金箔

岡倉天心(文久2年、1863~大正2年、1913)は本名覚三、福井藩士の子として生まれ、横浜で育った。東京芸術大学の母体となった「東京美術学校」の設立に大きく尽力した人である。日露戦争の頃、日本文化を紹介する本を英文で出版した。「The Ideals of the East」(東洋の理想,1903,ロンドン)、「The Awakening of Japan」(日本の覚醒,1904,NY) 「The Book of Tea」(茶の本,1906,NY)などである。以下、「東洋の理想」からの一節である。『大きな黒雲の影が、みかどとみかどの朝廷のみ光をおほひ、みかどと万民の間の光明をさへぎった。そしてこの時幕末の志士たちは、泣いて奮起した。彼らは誓ってこの黒雲のさへぎるをはらひ、光明のかがやく古の大御心にかへすことを決意した。』この天心の記述には、幕末期におけるメンタルな社会構造の鋭い分析に基く篤い尊皇思想が滲んでいる。天心が生まれた文久2年(1863)に長州藩の5人のサムライがロンドンに密航した。いわゆる長州五傑といわれ、当初尊皇攘夷に動いていた。その前年に上海に渡って現地を視察、英国によって植民地化されつつある清の姿を見て開国論に目覚めた高杉晋作の勧めで伊藤俊輔(博文)は横浜からまず上海に渡った。刑死し江戸の小塚原に埋葬されていた師・吉田松陰を高杉晋作と共に世田谷に改葬したのが、
文久2年の5月。安政の大獄に斃れた松陰の「仇を必ず取ってみせる」という憤りは倒幕、明治維新の原動力となった。尊皇攘夷と開国佐幕はアウフヘーベンし尊皇開国となったのである。






  • POSTED at 2020年05月30日 (土)