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「愛すべき名歌たち」(8月13日)
「愛すべき名歌たち」(8月13日)

13年前に亡くなった作詞家・阿久悠氏は昭和12年(西紀1937)淡路島の生まれである。ご両親は二人とも宮崎県生まれだが、お父さんが警察官で勤務の関係で淡路島に住んだという。「法と秩序」を遵守する立場の父親像と言えば、先般武漢肺炎の犠牲となった志村けんさんのお父さん(教師)もそうだった。長男はともかく、厳格な父親からは次男には文化芸能肌の人物が反動として育つのかもしれない。阿久悠氏の著書「愛すべき名歌たち」という本が岩波新書として21年前の夏にでている。「私的歌謡曲史」という副題をもつこの本の最初に紹介されているのが高峰三枝子が歌った「湖畔の宿」(昭和15年)で、戦死した11歳年上のお兄さんの思い出として綴られている。~兄は17歳で志願して海軍に入り、19歳で戦死した。終戦の一ヵ月前のことである。志願を決意したある日、ふたたび神戸へ行って、レコードを買って帰って来た。そしてポータブル蓄音機で何度も何度も聴いていたのを覚えている。結局、そのレコードが兄の唯一の遺品となる。高峰三枝子が歌った「湖畔の宿」一枚遺しただけの、兄の青春とか一生とかは何だったのだろうかと、今になると思う、兄が出征した後、ぼくは、その「湖畔の宿」をよく聴いた。特に兄をしのんでという思いでもなかったが、日常と違う何かを感じとっていたに違いない。それから間もなく、戦局が急を告げ、のんきにレコードを鳴らして聴いていることは許されなくなる。それでも、どうしても聴いてみたくなる時があって、そんな時は、ポータブル蓄音機を押し入れに持ち込み、布団をかぶって聴いたものである。そのころには、はっきりと、兄がわざわざ神戸へ買いに行き、何度も繰り返し聴き、そして遺していった物という意識があって、時々妙に悲しくなって泣いた。

  • POSTED at 2020年08月13日 (木)