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小泉八雲と静岡(8月31日)
小泉八雲と静岡(8月31日)

八雲と妻のセツ

小泉八雲ことラフカディオ・ハーン(1850-1904)は、明治23年(1890)に英語教師として来日、赴任先は島根県松江市の尋常中学であった。翌年、島根藩士・小泉湊の二女セツと結婚。このセツは75代出雲國造・千家俊勝の次男俊信の玄孫であった。出雲國造とは出雲大社の宮司職で日本神話の世界に繋がる家系である。出雲大社の祭神は大国主命で、その父祖が最古の和歌を詠まれた須佐之男命であるという相関である。5年後には東京帝国大学に職を見つけ、東京に移り住んだ。夏場を海水浴に適した場所で過ごそうとやって来たのが焼津である。日本に帰化した翌年の明治30年(1897)8月の始めのことであった。妻セツと男の子二人を伴っていた。~小泉八雲が焼津に縁のある文化人だと知ったのは、焼津駅近くの蔵ギャラリー「土泥棒」で最初のアート展を開催した時(平成10年4月)だった。~ 山口乙吉という魚商人の家に間借りし、海水浴や夏の風物詩を楽しんだ。そしてその年の8月25日、富士登山に挑戦した。四合目までは人力車(途中から馬に引っ張らせた)で登り、そこから自力であった。火山灰と砂の上を、それが過ぎると石、溶岩のかけら、軽石の塊、ありとあらゆる岩滓の上を進んだ。空気が薄くなり、心臓が熱病のように早鐘をうったという。強力に助けられて八号目に着いたのが午後四時四十分、ふもとを発ってから13時間が経っていた。そして翌朝の午前八時二十分、遂に頂上を極めた。
「山頂から望むこの景観は、そして淡い夢のような世界の光、また妖精の国のような朝霧、それに巻き上がるすばらしい雲、すべてこれが、そしてこれこそが、私の労苦の慰めとなる。他の巡礼たち、先に登頂した人々は、切りたった最高の岩の上に身を置き、はるか東方に顔を向け、多いなる日の神に神道の祈りを捧げ、柏手を打っている。この瞬間、限りない詩情が私の身を震わせ訪れた。」(ラフカディオ・ハーン「富士の山」より。村松眞一訳)

  • POSTED at 2020年08月30日 (日)