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あれから50年(9月13日)
あれから50年(9月13日)

大坂万博(1970)のシンボル 岡本太郎作の「太陽の塔」

50年前は1970年、昭和45年。その前年に大学に入学。大学紛争の嵐が吹き荒れていて、入学した大阪外国語大学(現・大阪大学外国語学部)も例外ではなかった。入学式には、松山から大阪見物を兼ねて母も出席していた。始まると同時に白ヘルを被った連中が壇上に雪崩込み、待ちに待っていた晴れの入学式はぶち壊しと相成った。狂気の沙汰である。何か外来の思想にかぶれた連中だったのだろう。四国ののどかな田舎から出て来た母もさぞかし驚いたことだろう。世が世であればあいつらは獄門だ。連中も今や70越えだろうが思い出すと腹が立つ。上本町のキャンパスは連中によって封鎖され、授業も変則的となり、学外のお寺や公民館を借りて授業が行われたが単位をちゃんと取れる環境ではなかった。2年に進級するのをあきらめて自主留年を決めた。ドイツ語学科25名のうち自分も入れて20名。親には申し訳なかった。アルバイトも沢山した。不安もあったが、それ以上に若さゆえの向こう見ずなバイタリティがそれを凌駕していた。70年の夏には大阪万博があり、メインゲート近くの神戸屋パンのレストランでアルバイトをした。岡本太郎の「太陽の塔」が目の前にあった。映画「ロミオとジュリエット」が上映されていたのを思い出す。万博が終わってから友人に誘われて訳も分からず京都まで行って「安保粉砕!」デモに参加したりした。今から考えると愚かな行為だった。ベルリンフィルが来日、大阪フェステイバルホールでカラヤン指揮によるベートーヴェンのシンフォニーを聴いた。この時初めてオーケストラなるものを聴いたのだった。そしてカラヤン指揮の「君が代」を清聴した。歌謡曲では、ちあきなおみの「四つのお願い」、藤圭子の「圭子の夢は夜開く」、渚ゆう子の「京都の恋」などが巷の人気を集めていた。そして11月25日、下宿のドアの下から差し込まれた夕刊で三島由紀夫の自決を知った。その時の下宿は谷町九丁目の地下鉄近くの永源寺というお寺の境内に建てられた木造の1DKだった。ドアを開けると目の前が墓地、見上げるとラブホテルのネオンサインが眩いという何ともシュールな環境だった。この年の12月に20歳の誕生日を迎え、美空ひばりの司会による大晦日の紅白歌合戦で1970年は幕を閉じた。



  • POSTED at 2020年09月13日 (日)