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明智光秀の遺作(令和2年10月14日)
明智光秀の遺作(令和2年10月14日)

明智光秀の肖像画、本德寺蔵

「ときはいま 天が下しる 五月かな」これは、天正10年(西1582)6月2日)午前4時に決行された本能寺の変の5日前に京都北部にある愛宕神社で催された連歌会での明智光秀による発句であり、遺作となっている。愛宕百韻と呼ばれ、光秀を含め9名が参加している。最後は光秀の長男・光慶による「国々は猶のどかなるころ」という句で結ばれている。光秀の遺作の解釈は、これまで①信長から天下を奪い取る、という野望説 ②光秀を使って自分の野望を達成しようとした黒幕説 などが主流であったが、全く新しい説が出現した。
平成の御代がまさに終わりを告げようとした昨年の春、徳間書店から「明智光秀 五百年の孤独」という本が世に出た。著者は日本文化チャンネル桜のキャスターを務めておられる宮崎正弘氏である。以下,同書より~戦国と雖も知識人は当時必ず読んでいた書物がある。『万葉集』『古今和歌集』『新古今和歌集』は当然の教養書であり、加えて『太平記』を読むのは知識人の常識だった。この列に『神皇正統記』と『愚管抄』が加わる。~ 江戸時代後期の農政家・二宮尊徳の勤労・分度・推譲の三訓が「至誠」を本(もと)とするように、光秀の遺作もまたその本となったであろう上記の教養書を読んでいなければ正しい解釈は出来ない。「本歌取り」が連綿と続く日本的手法なのである。

  • POSTED at 2020年10月14日 (水)