文化・芸術イベントやアート・絵画イベントの企画・運営ならアートフォースM&Kにお任せください。日本を 

サイト内検索 ホームページ制作・スマホサイト制作・CMS サイト管理画面

トップページ > ブログ > 歴史 > 明智光秀の遺作③(10月16日)

ブログ

歴史

明智光秀の遺作③(10月16日)
明智光秀の遺作③(10月16日)

明智光秀の家紋、水色桔梗

京都の北西で光秀主催の連歌会が催されたのは天正10年5月28日。宮崎正弘氏の書はまた次の様に続く。~「久米歌」の項でも、「荒ぶる神等を言向け平和し、伏はぬ人等を退け撥ひて、畝火の白檮原宮に坐して天の下、治らしめしき」 以下、綏靖天皇の項。「葛城の高岡宮に坐して,天の下治らしめしき」。安寧天皇。「大倭日子祖友命は、天の下治らしめしき」。懿徳天皇。「境岡宮に坐して、天の下治らしめしき」そして雄略天皇、崇峻天皇、推古天皇にいたる万世一系の系譜の表現は全てが「天の下治らしめる」とされているのである。~ 五月かな、という結語は確かに五月雨のことであろうが、「天」を「雨」と読み換える如きは小学生のレベルだと宮崎氏は喝破しておられる。~ 弓削道鏡の不正義を糺したのは和気清麻呂だった。.....遣唐使を廃止を建言したのは菅原道真だった。ならば光秀がなすべきは何か。光秀に取り憑いたのは日本の歴史を貫いた正気だったのである。狂気の正気、日本の歴史では変革期に必ず現れる思想といってもいい。本能寺の変以後も大塩平八郎、吉田松陰、西郷隆盛に取り憑いた。やがて大東亜戦争では特攻隊に象徴された死を恐れぬ行為!
後に吉田松陰に甚大な影響を受けたサムライがでた。...日本人の多くは乃木将軍を尊敬している。乃木神社総代会編『かたくなにみやびたるひと 乃木希典』(展転社)は「みやび」の意味を「宮び」に求め、清水文雄がジョホール・バルにて終戦直後に自決した蓮田善明を評して「みやびが敵を討つ」の譬喩を蘇らせている。清水と蓮田はのちの三島由紀夫に甚大な影響を与えた。「みやび」とは「皇神の御心と手ぶり」、つまり「みやびは国民の心に滲み透って血肉となって生きている」と前掲書は言う。~





  • POSTED at 2020年10月16日 (金)