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巨星逝く(令和2年12月7日)
巨星逝く(令和2年12月7日)

浜松市美術館にて、右から三番目が有馬先生、中央が中村雄次氏、左端が筆者

原子核物理学の権威で文化勲章を受章し、参議院議員任期中に文部大臣を務めた政治家でもあった有馬朗人氏が、今日東京のご自宅で亡くなられた。昭和5年(西紀1930)のお生まれ(大阪市)なので享年90歳。幼少の頃より高校(旧制浜松第一中学)を出る(四修、つまり5年のところを飛び級で4年で終了)まで浜松で過ごされたので、遠州人であった。専門の物理学分野での業績でよりも俳句の世界で認められたことに誇りを感じていらした節がある。天才数学者・岡潔先生が蕉風俳句の研究を通じて数学の難問を解けるようになったように、有馬先生の場合も15歳頃より俳句を創ることによって「心の律動」を育み物理学の世界に於いて金字塔を打ち立てられたのではないだろうか。毎年秋に浜松市北区引佐の奥山方広寺で「観月の会」という句会を催された風流人でもあった。氏の浜松一中時代の同窓の中村雄次氏(元浜松酒造株式会社社長)のご紹介をきっかけに3度ほどお目にかかる機会があった。静岡市での「富国有德塾」に参加の折には有馬先生による講演を拝聴する恩恵に浴した。演題は「詩文学の東西比較文化論」であった。知的探求心の旺盛さを感じさせるレジュメの厚さだった。その時に漏らされた日本武尊の事績についての疑問に対するヒントを持って静岡文化芸術大学(浜松市中区)の理事長室を訪ねたのが一昨年の秋、先ほどの中村氏にご同行を賜った上での面談実現であった。有馬先生は私の説明に「なるほど」と頷かれ謝意を表された。直截で謙虚なお方だった。その席では、松尾芭蕉の静岡における事績について疑問を呈されたが、それに対する報告をお持ち出来なかったのが心残りである。そして、別次元でもっと残念なことは、有馬先生が先月出た週刊新潮で例の学術会議がらみで書き立てられていたことである。井上科学技術庁長官が同会議の?会長に、学術会議の組織を国から切り離す方向で検討すべしと言い渡されたのと同タイミングでの有馬先生のご逝去であった。心よりご冥福をお祈りいたします。

  • POSTED at 2020年12月07日 (月)