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二宮金治郎(尊徳)の救民(令和3年2月20日)
二宮金治郎(尊徳)の救民(令和3年2月20日)

報徳二宮神社(小田原市)の拝殿

天保の大飢饉を予知した農政家・二宮金治郎(尊徳)を見出した[名伯楽]は小田原藩主・大久保忠真公で、当時首班老中の任にあった。重い病を患っていたにも拘らず金治郎に[小田原救済の議救急の事のみ決し御手元金千両を賜ひ、庫米を開き存分救急方法を講ずべき命あり]とある。大塩平八郎の乱決起の12日まえのことである。そしてその4日後(2月11日)二宮金治郎(尊徳)は[江戸を出發し、小田原役人に厳談し用意成るや3月2日より廻村救急に着手せり。] 昨年公開された映画「二宮金治郎」にもそのシーンが描かれていた。
二宮尊徳翁を祭神とする報徳二宮神社(小田原市)は明治27年の創建である。同社のホームページに以下の記載がある。
拝殿礎石には天保の大飢餓の際、藩主大久保公の命により尊徳翁が小田原城内の米蔵を開き、米が人々の手にわたったことにより、小田原11万石の領内から一人も餓死者も出さずにすんだという、その米蔵の礎石が用いられています。~

  • POSTED at 2021年02月20日 (土)