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Missingの念(令和3年3月7日)
Missingの念(令和3年3月7日)

かつて見て愛でたことがあるもの、かつて訪れた歴史的建物、かつて利用したことがある乗り物など、そういったものがいつの日かに亡くなっている、消滅したことを知った時、もちろん人は言い知れない喪失感に襲われる。それらが自分の一部であったかのように。
①かつてきれいな蓮の花を咲かせていて毎年見るのが楽しみだったのであるが、その蓮根畑がある日回転ずしの店になっていた。その蓮は、小学生の頃(60年前)の思い出に繋がっていた。七夕の短冊に願い事を墨で書いた時、朝早く起きて蓮の葉に溜まった水玉を集めてそれで墨を摺ったものである。
②静岡銀行の礎を築いた「遠州の渋沢栄一」こと平野又十郎(嘉永六年~昭和3年)の邸宅(平成5年に浜松市に寄贈されていた)が保存運動も空しく更地になり、跡地はマンションと駐車場になってしまった。樹高25メートルの黒松群(12本)やイチョウの巨木も切り倒され、緑地が消失してしまった。建築学史的にも、また同心遠慮講という報徳運動の拠点であったという文化史的にも貴重なものだった。
③可愛がっていた三毛猫が水道工事敷設の道路工事で振り下ろされた鶴嘴に当たって腹が切り裂かれてしまった。小学校から帰宅する直前の出来事だった。居間の畳の上で息も絶え絶えに横たわっていた。そして、そのまま還らなかった。ミーコという愛称で、まだ子供だった。辛かった。生まれて初めて死というものに向き合った体験である。あの時の無常観は今でも時折よみがえる。

  • POSTED at 2021年03月07日 (日)