テレビ番組でそのときの映像が放送されていた。私はちょうどあの時受験生で、テレビの実況でそのことを知った。あの時の映像を42年振りに見た。今から思うと、ロシア・コミンテルンによる工作が功を奏したということだろう。それに踊らされた東大生の素地を作ったのは、敗戦後の公職追放後にGHQの占領政策に協力をした南原繁、横田喜三郎、丸山真男といったマルクス主義を信奉する東大教授たちである。頭のいい学生が間違った方向に導かれ、エネルギーを発散した。彼らが開く安田講堂でのシンポジウムに参加した戦前の東大法学部卒業の作家・三島由紀夫の言葉と姿は凛として美しい。彼と言葉を交わす全共闘学生たちの言葉と姿は醜い。外来のウイルスにすっかりやられてしまい、根無し草の徒と堕してしまっている。穢れきっており、まさに日本美の対極である。当時は様子がよくわからなかったが、今にして自分なりに背景と流れがよく分かる。封鎖が解除されたとき、学生たちは皆ドット涙を流したそうである。それは無念の涙ではなく、悪夢から醒めたカタルシスの成せるものだったのだ。日本人としての自分に再会した喜びの涙であったに違いない。この年は東大の受験が中止となり、関西の大学の倍率がド~んと上がった。私が受験した大阪外国語大学ドイツ語学科(定員25名)などは国立一期校のすべり止めにされて13倍になっていた。よく受かったものだ。そして42年後のいま、次男が大学受験を目前に控えている。
- POSTED at 2011年01月19日 (水)