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日本海海戦②(令和3年5月28日)
日本海海戦②(令和3年5月28日)

東郷平八郎元帥(前列中央)と秋山真之参謀(同右端)

 日露戦争におけるリーダーは、陸軍は乃木希典、海軍は東郷平八郎(1848-1934)であった。それぞれの出は長州と薩摩で、両藩共維新前には欧州列強と戦火を交えた体験がある。東郷平八郎は、薩英戦争に参加した(15才の時)。また、桜田門外の変に関与した有村雄助の縁戚に連なる者としてその切腹の場に立ち会ったりもしている(12才の時)。武士の子として胆力がしっかり鍛えられていた。今流に言うと、東郷半端ない!である。日本海海戦の折には、旗艦三笠の艦橋に立ったまま一歩も動かなかったという。日本海海戦の大勝利の大きな要因はこの大東郷の胆力に裏打ちされた統率力にある。
    明治38年5月27日午前6時頃、旗艦三笠より大本営に以下の文面が打電された。。~敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チ二出動、コレヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪髙シ~ この後半部分は参謀秋山真之(伊予松山藩)によるものであるが、単なる情景描写ではない。秋山自身の立案による「七段構えの戦法」の中の第一段はやらない、ことを意味していた。第一段とは、[主力決戦前夜、駆逐艦・水雷艇隊の全力で敵主力部隊を奇襲雷撃する]であった。
   七段構えの戦法のうちの第二段、第三段のみでバルチック艦隊を殲滅し得たのである。それだけ明治日本は一枚岩であった。神武天皇の『うちてしやまん』の精神がこの海戦の時にはあった。それが日露戦争勝利の『本』であった。





  • POSTED at 2021年05月28日 (金)