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画狂老人「北斎」(令和3年6月9日)
画狂老人「北斎」(令和3年6月9日)

葛飾北斎 富嶽三十六景のうち「神奈川沖浪裏」

 東宝シネマ浜北で映画「HOKUSAI」を観た。最晩年の「富士越の龍」が出て来なかったのが残念であったが、絵師としての北斎の画業の営みが良く表現されていたと思う。
北斎(1760-1848)は生涯をかけて旅をした。引っ越しの回数も90回以上。古希を迎えた頃脳卒中で倒れた後も歩くことを止めなかった。あの有名な富嶽三十六景を描いたのが70才になった頃で、その後も遠く離れた(60里)信州の小布施まで歩いた。西洋の同時代人である音楽家モーツアルト(1756-1791)もその人生は旅と共にあった。しかしそれは馬車での旅だった。北斎は歩いたのである。杖をつき大地の上で足を動かしたのである。常に若々しく、そして瑞々しくあろうという神道の常若(とこわか)の考えを体現した人生であった。
写生すること、それが絵を描くことの基本である。目に見える対象を忠実に写すこと。その作業を続けることによって画家は自然界の命の営みを司る摂理を感得する。近代俳句の道を切り拓いた正岡子規(1864-1895)がそんなことを記していた。映画の中で、若い頃の北斎は歌麿から「あんたが描く女には色気がネエ」と批判される。形だけでなく描く対象の[いのち](官能性)をも写すことが作品の魅力を高めることを学んだ。そして写楽からは[心の眼]に見えたものを描くことを学んだ。図案性、デフォルメ、抽象化とでもいったらいいだろうか?





  • POSTED at 2021年06月10日 (木)