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初代の静岡県知事 関口隆吉(令和3年6月14日)
初代の静岡県知事 関口隆吉(令和3年6月14日)

 幕臣 関口隆吉(1836-1889)は、勝海舟や山岡鉄舟と同様明治政府の要職に就き、共に静岡県政発展の礎を築いた。明治14年(1881年)元老院議官となった時には、静岡を含む地方巡察をし、その調査報告の中で全国に及ぶ農政論を展開、穀物備蓄の重要性を説いたという。この頃農政家・二宮金治郎(1787-1856)の直弟子だった岡田良一郎(1839-1915,第二代大日本報徳社社長)と掛川で出会い交流を重ね、報徳を語りながら県政・国政を論じたという。そのことが関口隆吉の政治理念のバックボーンとなったと思われる。
現在の静岡県の管轄地が確定したのは明治11年(1878年)である。その6年後に関口は静岡県令となる。国情の異なる駿河・遠江・伊豆を擁し財政的に多くの課題を抱え、また困窮する旧士族が多く不安定な状況にあった。関口は県内を精力的に視察し、県民との対話に努めた。農政を重視する関口は天竜川から中遠まで農業用水を引く計画を立て、遠州社山(磐田郡豊岡村、現・磐田市)隧道工事などを手掛けた。また勝海舟の協力を得ながら牧之原開拓にも尽くした。その姿には、往年の二宮金治郎(尊徳)を彷彿させるものがある。
明治19年(1886年)5月、初代静岡県知事となり教育にも力を入れた。しかし、明治22年(1889年)4月、鉄道事故により不慮の死を遂げた。行年52才。
明治元年(1868年)に開設された静岡学問所の教授となり「西国立志編」などの翻訳出版により西洋思想を広めた中村正直(1832-1891,晩年は貴族院議員)は、関口を善政をしく立派な地方長官に対する誉め言葉『良二千石』と評した。広辞苑を作った新村出(1876-1967)は関口隆吉の次男であるが、ある年静岡県庁に保管されていた父の肖像画を拝し、「亡き父の生きた姿に何十年振りで対面できた」とその前に正座して頭を下げたとのことである。
現在静岡県知事選を戦っておられる岩井茂樹候補は今月初めに53才になったばかりである。52才で亡くなった関口初代知事からのバトンの継承が透けて見えるのである。岩井氏にはこのバトンをしっかりと受け止めていただきたい!









  • POSTED at 2021年06月14日 (月)