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フランス革命(令和3年7月14日)
フランス革命(令和3年7月14日)

バスティーユ牢獄の襲撃、1789年7月14日

かつてフランス革命の勃発地となったバスティーユ要塞監獄には政治犯が収容されていたが、その数僅か7名。襲撃した目的は政治犯救出というよりもそこにあった弾薬庫収奪にあったという。放棄した民衆を鎮圧すべき国王の軍隊は戦意貧弱で、民衆側に回った者も数多くいた。みっともない話である。我が国で云えば、近衛兵や旗本が職務放棄したようなものだ。
18世紀半ばにイギリスに起った産業革命は社会構造に大きな変化をもたらす引き金になった。植民地経営においてイギリスの後塵を拝したフランスでもいわゆるブルジョア階級が勃興し、それまでの制度に不満を募らせるようになった。ルイ16世はギロチン初使用による断頭台の露と消えた。ヴィーンのハプスブルク家から嫁いだマリー・アントワネットも同様の運命を辿った。
フランス革命のキーワードは、自由・平等・博愛といわれているが、当初は自由・平等・財産だったという。「王殺し」は褒められたものではないが、徳を備えなかったルイ16世が自ら蒔いた種だったのだろう。
バステイーユ要塞監獄は今は広場となり、その一角には文化の殿堂としての新オペラ座が建ち、断頭台が設置された場所はシャンゼリゼ大通りの東端に位置しコンコルド広場となっている。その北辺に建つのがかの有名なホテル・リッツである。

  • POSTED at 2021年07月14日 (水)