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明治維新のアジア史的意味(令和3年7月17日)
明治維新のアジア史的意味(令和3年7月17日)

熾仁親王による五か条の御誓文写し

産経新聞の『正論』欄に寄稿されている平川祐弘氏(昭和6年~ )は浜松の竹山家所縁の方である。ドイツ文学者で「ビルマの竪琴」の著者・竹山道雄(1903-1984)の娘婿である。竹山道雄は大日本報徳社第二代社長・岡田良一郎の三男・純平が浜松の竹山謙三の養子となり、生まれたのが道雄で、今日は誕生日である。
以下、平川祐弘氏の『正論』欄寄稿記事(平成30年3月6日)より~
聖徳太子や福沢諭吉は日本が進むべき文明史的方向を示した。聖徳太子は漢字文化の学習を奨励、古代中国を文明の範とした。福沢諭吉は漢籍でなく英書により近代文明を学ぶ必要を説き、「脱亜入欧」を主張した。語学的には「脱漢入英」である。1868年、日本は目を西洋に転じた。明治維新は狭義には幕府崩落,大政奉還、王政復古、五か条の御誓文などを、広義には廃藩置県、殖産興業、富国強兵、憲法発布、議会選挙などの近代国家の建設をいう。
300年続いた満州族による清朝を倒した辛亥革命(1911年、共和革命)後に中華民国の仮総統になった孫文の「明治維新は中国革命の第一歩」という言葉は、新日本が中国に及ぼした刺激を示唆している。
因みに、慶応4年3月14日、京都紫宸殿で五か条の御誓文が出たと同じ日、江戸田町の薩摩藩邸で西郷隆盛と勝海舟の間で江戸城開城が決まった。



  • POSTED at 2021年07月17日 (土)