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「坂の上の雲」(令和3年8月22日)
「坂の上の雲」(令和3年8月22日)

正岡子規の肖像写真、明治33年に撮影

産経新聞に連載されたこの小説が単行本化されて人気を博したのは昭和53年(1978)。明治の時代、明治の頃の日本精神を描くのに伊予松山に生まれた俳人と軍人とを主人公に選んだのは作者司馬遼太郎の面目躍如といったところであろう。新聞への連載文体は読み易い。なだらかな小川の流れの様である。その文体の中に明治の日本精神の骨格をセットした文才と気概は大したものである。
一度通読したことはあるが、最近の枕頭の書として文字通り枕元に置いてある。
春や昔 十五万石の城下かな
有名な俳人・正岡子規(慶応3年-明治35年)の郷里松山を詠んだ俳句である。のちに浜松に立ち寄った時(明治28年)には、
馬通る 三方が原や 時鳥 と謳った。情景描写の中に心情がうまく読み込まれている。明治人のスケールの大きさも感じられる。ちなみに、右の写真を基にした油彩肖像画を昨年11月に見た。子規の母校松山中学の前身である藩校・明教館の建物が今はその後身・愛媛県立松山東高校(私の母校)の構内に移設されていてその中に掲げられている。

  • POSTED at 2021年08月22日 (日)