彼らは独自の文化も持つ。宦官と纏足と残酷刑と科挙の制だとか。ひと様に誇れる文化は皆無だ。因みに日本はそのどれも取り入れなかった。そんな漢民族が建てた明が滅び、満州族の清が北京に入城すると、民は歓呼して彼らを迎えたという。
我々日本人が一括りに言う「志那人」には二種類の民族があることが判る。一つが原住民である漢民族と、もう一つが彼らを支配しながら絢爛の文化を咲き誇らせた征服民族だ。その漢人が清の傾きを見て再び頭をもたげたとき、福沢諭吉は躊躇いなく漢人を切れと言った。しかし他の日本人はその異同が分からないまま清の西太后を遠ざけ、漢人の孫文を撰んだ。
- POSTED at 2022年02月17日 (木)