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漱石と鉄道(令和4年8月29日)
漱石と鉄道(令和4年8月29日)

松山中学に赴任した頃の漱石

夏目漱石は伊予松山が生んだ俳聖・正岡子規と同年の生まれである。大学で子規と知り合って交友が始まった。二人の青春時代は、明治維新による混乱期であったと同時に文明開化の花咲く時代でもあった。王政復古によるご親政が始まったにせよそれは今から俯瞰するとその底であるものの瓦解が始まったとも言える。
鉄道は文明開化のしんぼるであった。子規は出来立てホヤホヤの年明治22年に乗ったが、漱石は恐らく明治28年が初乗りだったろう。その年に漱石は子規の郷里である伊予松山の愛媛尋常中学校(愛媛県立松山東高校の前身)に赴任したのである。日露戦争勝利の3年前に子規は35歳でこの世を去った。明治42年に出した青春小説「三四郎」の中で漱石は子規の事を回想している。
主人公三四郎は熊本の高校を卒業して東京の大学に入学するため汽車で上京するのであるが、名古屋から同じ客車に乗り合わせて懇意になった広田先生にこう言わせている。豊橋から浜松へ走る列車の中で水蜜桃を食べながら。~子規は果物が大變好きだった。且ついくらでも食へる男だった。ある時大きな樽柿を十六食った事がある。それで何ともなかった。自分抔はとても子規の眞似出来ない。~




  • POSTED at 2022年08月29日 (月)