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モーツアルト「レクイエム」(令和3年6月27日)

ヨゼフ・ランゲによる肖像画「鍵盤に手を置くモーツアルト」

 高校一年の時、初めてLP盤を買った。松山市大街道の小早川楽器店のレコード売り場だった。ブルーノ・ヴァルター指揮ニューヨーク・フィルの演奏。自転車通学だったので、小脇に抱えながら夜道をペダルを踏んだ。クラブ活動はコーラス部で、合唱コンクールの自由曲で「ラクリモーサ」(涙の日)という「レクイエム」第7番目の曲を歌ったのが動機だったのだろう。
大阪の大学に進学して、「モーツアルトの死」というタイトルの小文を音楽の友誌に寄稿して掲載されたことがある。信貴山近くの八尾市に下宿していた時だから、大学3年の時である。何で死という暗いことを書いたのだろう?と今にして思うが、70年安保闘争の翌年でも大学のキャンパスは騒然として落ち着かず漠然とした不安が日常化していた。
大体がこの曲はレコードで聞いていたように思う。生の演奏で聴いたのは僅かの一回だけ。30年前の12月、場所はパリのサン・ジェルマン教会。床暖房が聞いていて睡魔に襲われ、はっと目が覚めると同時に「ラクリモーサ」が始まった。教会の中は響きが温かい。ふんわりと包まれるようだった。モーツアルト没後200年の年であった。命日は12月5日であるから、その日に合わせて企画されたのだろう。
ふと本棚を見上げると、「東京見おさめレクイエム」という横尾忠則著の本が目に入った。そういえば、今日は天才横尾忠則氏の85才の誕生日である。氏も一時モーツアルトに凝っていたことがあるので、こういう共時性が起きるのだろう。


 

今朝早くに目が覚め(3月11日午前4時)階段室にある本棚から「神道の本」を抜き取った。何故かそこに目が吸い寄せられたのである。今朝の「枕頭の書」となった。以下の下りは、まさに目から鱗であった。
~神前に立って柏手を打つときに、両手を合わせ、右手を少し手前に引くが、これは左は火足(ひたり)であり、陽(ひ)であり、霊(ひ)である。右は水極(みき)であり、陰(つき)であり、体(身み)である。両手を合わせるのは、陰陽の結合、調和であり、右手を少し手前に引くのは陰が一歩下がる。つまり霊主体従を意味するものなのだ。手を打ち鳴らすのは天地開闢の音霊であり、天の磐戸開きである。祈るとき、そこに天地が開け,磐戸が開き、光明があふれでることを意味するのである。~
日頃神社に参拝するときに何も意識せずに行っている作法であるが、なるほどと得心がいった次第である。そして、巻末のこの本の発行日をみると、何と1992年3月10日となっている。ちょうど28年前の今日なのだ。シンクロニシティーにびっくり!
この年の4月19日にパリを引き上げ帰国の途に就いた。そして8月に横尾忠則の「飛瀧曼荼羅展」が開催された那智勝浦を訪れ、那智の瀧をご神体とする飛瀧神社の前に立った。そのとき、自然(かみ)を感得し、神道の世界に導かれたのである。




今日は旧暦では1月1日である。明治5年までの日本人は今日あたりの季節感で正月を祝っていた。「新春」という表現がフィットするのだ。日の出と日の入りに手を合わせ拝んでいた日本人の素朴な自然観(こころ)は「不定時法」に合わせて一刻を設定する和時計(形)の考案に繋がったが、「文明開化」「西洋近代化」というメスが入れられ「定時法」に基く西洋時計(かたち)に取って換わられた。もう既に150年ほども前のことにて意識の表層には出て来ないが、その後の日本人の美意識や感性(心)に少しずつ少しづつ西洋化の浸潤が進行してきたのであろう。暦の西洋化も図られ、太陰・太陽暦から太陽暦への転換が号令された。明治5年の12月3日が新暦の1月1日となった。明治維新のあまり意識されない別の一面である。
私が机を構える事務所(浜松市東区有玉南町)の目と鼻の先に旧庄屋屋敷『高林家』があり、ここのかつての当主・高林伊兵衛は和時計の収集家であった。その100点を超えるコレクションは現在東京国立博物館に寄託されている。西洋近代化の投れに竿を差したのだろうか?
一陽来復(1月30日)

昨年の12月21日は冬至の日に当たり、ちょうど偶然にもその日は古希を迎えた私の誕生日であった。が、本題はこの季節に行われる新嘗祭のことである。以下、山蔭基央著「天皇と日本の繁栄」(平成元年、マネジメント社刊)より
~その昔は、霜月(旧暦11月)の中の卯の日に行われた新嘗祭で、新暦(太陽暦)では12月半の頃に行われた祭である。つまりこれは「農民の祭」として、新しい生命を迎える冬至の祭(一陽来復の祭)であったとみれば、それはキリスト教のクリスマスの祭にも比適される。つまり《太陽の光》が衰え、その威勢が元に復する季節に《新嘗祭》が行われたとは、まことに《生命新生の祭》にふさわしい。
《新嘗祭》はかく農耕社会の神事であるに、日本は《工業社会》となって久しい。しかも《ハイテク工業社会》として、日本は《超先進国》である。しかるに、日本皇室が太陽暦に訂正したとはいえ、《初冬の十一月》の夜に、昨年(西紀1988年)も行われたのである。(注)1988年は天皇御不例の為、掌典長代行、1989年も服喪のため掌典長代行となった。~
太陽は命の源であり、農業は国家経営の命の源である。ここで想起されるのは二宮尊徳の《農業振興成ってのちに商工の道拓かれる》という箴言である。




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