文化・芸術イベントやアート・絵画イベントの企画・運営ならアートフォースM&Kにお任せください。日本を 

サイト内検索 ホームページ制作・スマホサイト制作・CMS サイト管理画面

ブログ

1/12ページ 全部で57件中 1-5件を表示
今日のお昼はラーメン(令和5年1月5日)

塩ラーメンのインスタント or インスタントの塩ラーメンであるが、具をきちんと入れると、またたまに食べると結構美味しくいただけるものだ。
謹賀新年(令和5年元旦)

自宅から車で約10分。初日の出を拝みに行く。いつもの場所である。
新嘗祭の日に(令和4年11月23日)

カタールでのサッカー・ワールドカップ会場での日の丸

今日は新嘗祭の日にて、玄関先に国旗を掲げた。雨模様の中滝沢まで日本画家・栗原幸彦先生をお迎えに行き小國神社での祭祀参列にご一緒させていただいた。雨天のため修祓は拝殿の中で行われた。そして、宮司一拝、祝詞奏上、浦安の舞いに続き参列者の榊奉献、来賓挨拶、打田宮司の返礼のご挨拶があり散会となった。直会は今年も中止となり、弁当の持ち帰りとなったのである。
夜10時よりカタールでサッカーの日独戦があり、日本が勝利した。優勝候補と言われていたドイツに日本が勝った!しかも、逆転勝利である。試合開始の前に両国の国歌演奏&斉唱があった。大阪万博の年にカラヤン=ベルリンフィルが来日し、両国の国歌演奏を聴いたのを思い出した。
人道的?爆弾の開発(令和4年9月4日)

今朝の9時半スタートの「浜松北地域地域づくり講座」を受講した。会場は三方ヶ原協働センター(浜松市北区)である。先月自宅近くの都田図書館で目にしたパネル展示「戦争と市民の暮らし」がきっかけだった。講師は元教員で現在浜松市スクールカウンセラーを務めておられる矢田勝氏である。全部で26ページに亘る大変充実した資料が用意されていた。
先月6日(土)に「浜名湖の秘密兵器と湯川秀樹」という講座があり、今回はその続きという位置付けだった。
先の大東亜戦争末期に京大の湯川秀樹博士と浜松工専の学生らとの共同により、「熱線自動吸着爆弾マルケ」が開発されていたという。これはつまりミサイルの先駆けになるものだろう。日本て凄い!と思った。空母なるものを発案したのも我が国であったし。
1.空母の煙突の熱源に向かって自動的に進路を変える当時世界最新の独創兵器だった。
2.「特攻」という非人道的兵器への反対という明確な志向をもっていた精密爆撃兵器。
3.マルケは昭和63年8月、防衛庁と三菱電機との共同開発によって、北部日本防衛の戦術兵器として完成。43年を隔てて、名を変えて国防に貢献。。






漱石と鉄道(令和4年8月29日)

松山中学に赴任した頃の漱石

夏目漱石は伊予松山が生んだ俳聖・正岡子規と同年の生まれである。大学で子規と知り合って交友が始まった。二人の青春時代は、明治維新による混乱期であったと同時に文明開化の花咲く時代でもあった。王政復古によるご親政が始まったにせよそれは今から俯瞰するとその底であるものの瓦解が始まったとも言える。
鉄道は文明開化のしんぼるであった。子規は出来立てホヤホヤの年明治22年に乗ったが、漱石は恐らく明治28年が初乗りだったろう。その年に漱石は子規の郷里である伊予松山の愛媛尋常中学校(愛媛県立松山東高校の前身)に赴任したのである。日露戦争勝利の3年前に子規は35歳でこの世を去った。明治42年に出した青春小説「三四郎」の中で漱石は子規の事を回想している。
主人公三四郎は熊本の高校を卒業して東京の大学に入学するため汽車で上京するのであるが、名古屋から同じ客車に乗り合わせて懇意になった広田先生にこう言わせている。豊橋から浜松へ走る列車の中で水蜜桃を食べながら。~子規は果物が大變好きだった。且ついくらでも食へる男だった。ある時大きな樽柿を十六食った事がある。それで何ともなかった。自分抔はとても子規の眞似出来ない。~


1/12ページ 全部で57件中 1-5件を表示