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静岡という地名の由来(令和3年6月3日)

本日静岡県知事選挙が告示された。投開票は6月20日で、この日は何と「静岡」という地名が町触れされた日である。江戸から明治へと切り替わったことの節目の日である。「新しい県政」が始まった日であった。そのことを記す石碑を見たのは11年前のこと。
2010年、静岡県主催の「輝く静岡の先人」展の運営を委託され、県下4会場を廻ったことがある。①沼津市(静銀ギャラリー)→②静岡市(市民ギャラリー)→浜松市(なゆた浜北ギャラリー)→④森町(小國神社) 静岡市民ギャラリーを擁する旧静岡市役所の正面玄関脇に静岡の地名由来を記した石碑があった。以下、静岡市のホームページより~
 『静岡の由来

明治二年(1869)廃藩置県を前にして駿府または府中といわれていた地名の改称が藩庁で協議された 重臣の間では賤機山にちなみ賤ヶ丘といったんは決まったが藩学校頭取の向山(むこうやま)黄村(こうそん)先生は時世を思い土地柄を考えて静ヶ丘即ち「静岡」がよいと提案され衆議たちまち一決同年六月二十日「駿州府中静岡と唱え替えせしめられ候」と町触れが達せられた 以来百有余年富士を仰ぐふるさと静岡の名は内外に親しまれ県都として今日の発展を見るに至った
ここに市制施行九十周年を迎え黄村先生の遺徳を敬仰しゆかりの地藩庁跡に市名の由来をしるす
 昭和五十四年四月一日  静岡市                                           』

                        
という碑が静岡市役所本館前に設置されています。

この由来碑は昭和54年に設置されたものですが、昭和60年以降の静岡県史編纂事業による調査において、静岡の名称についての新資料(国立公文書館所蔵 公文録)が確認されました。その資料は、『府中藩が明治政府に3つの名称案「静岡」、「静(しず)」、「静城(しずき)」を上申し、明治政府が「静岡」を採用』したことがわかる資料でした。この候補の考案に、向山黄村が深く関わったと考えられています。平成28年5月 文化財課
関岡英之氏の死(令和3年5月25日)

栗原幸彦作「花菖蒲」 紙本彩色 90x180cm

ノンフィクション作家の関岡英之氏(1961-2019)の死を知ったのは、昨年1月の日本文化チャンネル桜の番組でだった。亡くなったのがその前年の5月だったというから、8か月経ってからの発表であった。死因は吐血性心不全、行年僅か57才。
関岡氏にはその生前浜松で何回かお目にかかったことがある。落選中の城内実氏の応援で、街頭演説や城内実後援会主催の講演会の司会などの活動をされていた。郵政民営化法案採決時に青票を投じた城内実氏に全幅の信頼を置き、望みを託していらした。
昨日車を運転中に関岡氏のお顔が頭をよぎった。何故だろう?
亡くなる半年前に(2018年12月8日)書かれた著書「帝国陸軍 知られざる地政学戦略」の新書版後書きを以下のように結ばれている。~『なんじ自身のために泣け』『大川周明の大アジア主義』と本書を以て、私のささやかなアジア三部作は完結した。なかでも本書は、私にとって最も思い入れのある渾身の一冊だ。この世に生を受け、この三作を世に遺し、いま再び本書を新たな形で残せるという僥倖に恵まれ、もはや思い残すことはなにも無い。ありがとうございました。2018年12月8日払暁 國運分岐の報に接しつつ 関岡英之 ~


みどりの日(令和3年5月4日)

栗原幸彦作品の前のご来場者

会期2日目は「みどりの日」で,大型連休6日目であった。平成11年までこの祝日は4月29日であった。それが「昭和の日」となり、廃止されることなく5月4日に移された。大型連休の出現である。
栗原幸彦先生とその門下生による日本画はみものである。大山蓮華、山茶花、白木蓮、薊、額紫陽花、花菖蒲、牡丹、鬼百合、梅、桜、水仙、秋桜などが描かれている。清らかで美しい。対象の形ばかりでなく、その生命感や息吹までも写している栗原作品は見事である。右写真の作品は「花菖蒲」で90x180cmの大作である。白と美群青の花びら、そして、それらを力強く支える青々とした茎葉。精神性と品格の高さが漂う。小國神社の菖蒲園は今月22日に開園するが、この会場ではそれに先駆けて満開である。しかもこの美群青の苗は小國神社の菖蒲園では絶えていて、どこかから株分けをしない限り当分見られないという。この作品は記録としても貴重である。
そして「昭和の日」(令和3年4月29日)

今日29日は、かつての「天長節」、戦後は「天皇誕生日」、そして昭和天皇崩御に伴い「みどりの日」に改められた。そして、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」という趣旨で平成18年(2007)より「昭和の日」となっている。今朝は7時頃に玄関先に国旗を掲げた。あいにくの雨模様である。ふと町内で何軒位国旗を出しているだろうか?と思った。いつだったか、1500軒ほどある町内を隈なく調べたことがある。我が家を入れてたった5軒であった。
「みどりの日」という抽象的な名称は、今また勢いを増している皇室破壊の動きとリンクしていると推測する。それが改められた時はどなたが首相であったか?誰あろう、内閣官房長官を経て第90代内閣総理大臣に就いた安倍晋三氏であった。
午後、森町に鎮座する小國神社に参拝。掛川から見えたお二人の方と宮司様をお訪ねした。長居をしてしまい、天竜を経て帰宅した夕刻には雨足が激しくなった。そして、所用で市街地に出かけた7時過ぎからは豪雨に近くなっていた。「昭和の日」に相応しい雨の降り方であったかも知れない。
NHKの捏造番組(令和3年4月2日)

軍艦島(正式名称:端島) 写真”産経新聞社

NHKは日本放送協会のことであるが、日本という国名を冠に謳えるほど高尚なことはやっていない。その逆だ。日本を貶める捏造番組を平気で創っている。職員の平均給与も約1700万円。職員の起こす事件数は半端ない。こんないかがわしい組織を改革出来ない政府自民党は政権与党とは言えない。
参議院議員の青山繁晴氏がある委員会で先月NHK会長に鋭い質問をしていた。
[NHK「軍艦島」映像捏造疑惑の真相]
 https://news.1242.com/article/282628
昭和32年に放送された「緑なき島」の中で「軍艦島」の炭坑を描いた部分(2分)である。事実と全く異なる過酷な作業として描かれた部分が韓国に利用されてひとり歩きしているのである。反日プロパガンダとしていいように使われているのである。映画にまでなっているらしい。
福沢諭吉は、朝鮮には関らないない方が良い、と唱えたというが懸命で至極真っ当な見解である。
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