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().爾臣民、父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信シ、恭儉己レヲ持シ、博愛衆ニ及ホシ、學を修メ業ヲ習ヒ、以テ知能ヲ啓發シ、德器ヲ成就シ進テ
教育勅語②(1月12日)

教育勅語は明治23年10月30日に発布された。

  (一)朕惟フニ我カ皇祖皇宗、國ヲ肇ムルコト宏遠ニ、德ヲ樹ッルコト深厚ナリ。我カ臣民克ク忠ニ克孝ニ、億兆心ヲ
一ニシテ、世世厥ノ美ヲ濟セルハ、此レ我カ國體ノ精華ニシテ、教育ノ淵源、亦實ニ此ニ存ス。

(現代語訳)
国民の皆さん、私どもの祖先は、国を建て始めた時から、道義道徳を大切にする、という大きな理想を掲げてきました。そして全国民が、国家と家庭のために心を合わせて力を尽くし、今日に至るまで見事な成果をあげてくることができたのは、わが日本のすぐれた国柄のおかげであり、またわが国の教育の基づくところも、ここにあるのだと思われます。




國民の覺悟Ⅲ(6月1日)

さうして、大正天皇・今上天皇陛下の御稜威によつて、今や、國運はいよいよ進み、わが國は、東洋の平和をひとりで引受け、英・米兩國とならんで、世界中の最も大事な地位を占めたのである。
[されば、われら國民は、よくわが國體の尊さを辨へて,朝廷に忠誠をお盡し申し、すぐれた人々にならって修養をつみ、りっぱな國民とならねばならぬ。それとともに、今まで國運が開けてきたわけをよくふり返って見て、それぞれ自分の業にはげみ、一致共同してますます國家の富強をはかり、その上で、進んで世界の平和にも力を入れて、光榮なわが國史にいつそう光輝を增すやうにつとむべきである。
國民の覺悟Ⅱ(6月1日)

また仁徳天皇は、御みづから御節約になって、人民をあはれみたまひ、後奈良天皇は、御身のお苦しみを忘れて、國民の身の上をお案じ下さった。明治天皇が、照るにつけ、曇るにつけても民草をお思ひ下さったことは、今更申すもかしこいきはみである。
[國民世々の忠誠]わが國民は、かやうな御歴代の御盛徳をあふいで、世々忠實に朝廷にお仕へ申し、一身一家をすてて國家の為に盡した。藤原鎌足が、不忠な蘇我氏を除き、和気清麻呂が、ふるって國體を護り、菅原道眞が眞心をあらはし、楠木正成をはじめとする數多の忠臣が、身をほろぼして忠義を盡したなど、いづれも國民の手本を示したものである。
[文化の発達 國民の進歩 かやうにして、君臣の間は、おそれ多くも父子の情にも似て、ひろい帝國が、一家のやうに、おだやかに今までつづいてきたが、この間に、政治は進み、文化はますます開けていつた。かつては、天智天皇・桓武天皇が、外國の文化をお取入れになつて、政治を新になされ、近くは、德川光圀。本居宣長らが、わが國柄の源を明らかにし、國民の尊王心をよび起して、明治維新のもとを開いた。維新以来、明治天皇は、日夜、國運の進歩にひとかたならず大御心をかけさせられた。

佐藤一斎(令和2年5月8日)

佐藤一斎の肖像画。渡辺崋山画。

佐藤一斎は、江戸後期を代表する儒学者で、二宮金治郎(尊徳)の同時代人である。この人なくして明治維新はなかった、といわれるほど數多くの英才を育てた。佐久間象山、渡辺崋山、横井小楠、中村正直など。年代的には、西洋で言うとヘーゲルやベートーヴェンらとほぼ同年の生まれである。美濃国岩村藩の藩士の子として江戸で生まれた。生年’安永元年(1772)~没年;安政6年(1859)。教えの系譜を辿ってゆくと、江戸初期の儒学者・伊藤仁斎に繋がる。一斎の随想録「言志四録」は西郷隆盛の座右の書であった。東京大学の母体となった昌平坂学問所も塾長を務めた。

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