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ブログ

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食と健康、環境の保全(令和4年9月6日)

石原慎太郎氏が生まれた町・神戸の朝のかぎろひ

知らぬが仏、であれば時が平穏に過ぎてゆく。心配もせず、抱く理想と現実とのギャップについて悩むこともない。しかし、日本人として気付き目覚めた以上、後戻りは出来ない。眼をつぶりごまかすことは高い精神性にとって耐え難い背信行為である。
2年前に結党し、8月の参院選で議席を獲得した參政党の政策の三本柱の一つが今日のブログの標題であり、その骨子は、以下の通リである。
①・一次産業の保護 ・自然栽培の奨励 ・米食、和食の推進 ・ローカルフード法制定 ・種子法復活
②・食品表示法見直し ・添加物使用の厳格化 ・予防医療の推進 ・健康ポイントの発行
③脱炭素政策の見直し
よた牛の様な症状を呈する現下の日本にとって、その再生、再興を期する処方箋のように感じる。希望の光である。この党のシンボルカラーである橙色は、日の出前のかぎろひの色である。1200年前の万葉の歌が想起されるのだ。
東の 野にかぎろひの 立つ見えて 返り見すれば 月傾きぬ(柿本人麻呂)





 
実りの秋(令和3年11月15日)

たわわになる次郎柿

我が家のすぐ北にフルーツパークがあり、そのすぐ北に隣接する大平(おいだいら、浜松市浜北区)は次郎柿の名産地である。実が大きい。郷里松山にいた高校生のころまでは畑の一角に生えている富有柿をよく食べていた。高さ5メートル位はあったろうか、よじ登って西の丘陵地に沈む夕日を眺めながらもぎって丸かじりした。はるか北の方には松山城が見えた。
柿と言えば、「柿食へば鐘がなるなり法隆寺」という正岡子規の句が有名である。明治28年、松山から東京に戻る途中寄り道をして詠んだものである。今読み返している司馬遼太郎の「坂の上の雲」にそのことが記されている。
天の恵み?(令和3年9月10日)

今朝庭に出てみると栗が2個落ちていた。今年の初収穫である。我が家の栗の木は高さ5メートル位で長い竿がないと栗の実には届かないが、食べ頃になると自然と地面に落ちて来る。上からまさに降ってくるので、天の恵みの様だ。例年栗ご飯にして美味しくいただいている。お隣にはみ出した枝に成った実は差し上げている。今年はお隣の方が沢山ありそうだ。
栗と言えば信州の小布施がその産地として有名である。北斎美術館があることもあり、また瀧めぐりを期待して家族4人で訪れたことがある。今からもう25年ほど前の事で、長男が13才、次男が3才だった。北斎が居住したという家の横にも大きな栗の木があり、ちょうど実が沢山なっていた。♪大きな栗の木の下で~、と大きく手を拡げ身振りを交えて家内が歌った。子供たちは覚えているだろうか?
北斎館では、最晩年の作品「不二越えの龍」を観た。祭り会館で屋台絵を、また岩松寺では鳳凰の天井画を観た。
日本一しょうゆ(3月19日)

雄踏街道沿い(浜松市西区)に「唐揚げ本舗」という鶏肉の唐揚げの店がある。そこの店内に掲げてあるパネルに「天明七年創業」の木樽仕込の「日本一」醤油を使用、と謳ってある。天明七年というと西紀1787年だ。二宮金治郎が生まれた年で、例の大飢饉が発生した年だ。そんな大変な年に創業したなんて尋常な精神ではない。ピンチをチャンスに換える超ポジティブなその精神とは、「近江商人の精神」であることが分かった。なるほど、と溜飲を下した。
現在の東京都町田市にある岡直三郎商店は平成29年(西紀2017)に創業230年を迎えた。それを記念して社史が編纂された。~町田市というと、シュタイナー研究第一人者の高橋巌先生や龍画作家の〇〇が住まわれているところではないか。関心の度合いが高まった。~ 
以下、その社史より:
日々念仏[南無阿弥陀仏]を唱え信心に生きることで、ご先祖や阿弥陀様への感謝の念が湧く。そんな報恩感謝の精神は、近江商人の有名な言葉『三方良し ①売り手良し ②買い手よし ③世間良し』につながるのであろう。利益は世のため人のために使う。そんな近江商人の教えが、商業活動の活力となり、商道を目覚めさせた。
→同じ醸造でも、酒は不要とは言わないが不急のものである。しかし、醤油は日々の食事に欠かせない。飢饉で餓死者がおおぜい出た天明の大飢饉の折に、世のため人のために、という気持ちで小麦や大豆を醤油に変換したのである。
これは、三立製菓やホンダ技研の社是ではないか。つまり「報徳精神」と共通しているのである。


アンジェリーナのモンブラン(10月4日)

パリ1区のリヴォリ通り226にあるアンジェリーナというレストランのモンブランは最高に美味しかった。オーストリアから南仏経由パリに進出して大成功を収めた。創業が1903年で、大の老舗である。プルーストやシャネルなど著名人が待ち合わせ場所として訪れ有名になっていったという。100年以上の味づくりの蓄積があり、立地も良く、ルーブル美術館へも歩いて5分位である。近くに金色の馬上のジャンヌ・ダルク像があったのを思い出す。混んでいる時は奥まった所にある2階の部屋に案内された。歴史に磨かれた素敵な店である。
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