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民芸運動と浜松の高林家(7月1日)

高林家山門(静岡県浜松市東区有玉南町。7月1日、筆者撮影)

今日は浜松市制100周年の日である。浜松駅前のアクトホールで記念式典が開催されるようである。出席者には地元浜松に伝わる”遠州縞”という綿紬の小物が引き出物として配られる模様。遠州は織物産業が盛んだった土地柄で、ほかにも”ざざんざ織”(絹)や”伊兵衛織”(絹)などが今も織られている。これらは、分類としては”民芸”(民衆芸術=folkart)として捕らえられるが、イギリスのウイリアム・モリスが提唱したこの運動(生活と芸術の一体化)は我が国では柳宗悦が中心になって推進した。それを物心両面で支えたのが浜松の高林家であった。日本で最初の民芸美術館はこの高林家の敷地(約3000坪)の中に建てられた。この数年間その場所がどこか探しあぐねていたが、数日前に判明した。前浜松市議会議員のMSさんの情報ソースであった。聞けばなんと、弊社事務所の目と鼻の先ではないか!距離にして200メートル。俊光神社という坂ノ上田村麿が祀られている神社のすぐ東側である。浜松は西洋楽器(ヤマハ)やオートバイ(ホンダ)、車(スズキ)という近代化の産物で栄えてきた町であるが、反面こうした前近代の織物がいまもなお現役として残っているという、アンバランスのバランスみたいなものが感じられる不思議な町なのである。

手づくりの味(6月21日)

ドイツ製錫カップとスーパードライ

ビールの季節である。先日19日の日曜日、自治会の活動で近くの公園(約1000坪)の草刈をし、その後参加者でバーベキューを楽しんだ。共に力を合わせ、草を刈りきれいになると、心までもスッキリとしきれいになるようだ。共に働いたあとのねぎらいとしての飲食は一種の祭である。共に語らい、笑うことによって”陰”が吹き飛ばされる。残ったビールを皆で分け合って持ち帰ったが、今夜錫製のカップで飲んでみた。うまいビールは泡が細かいが、このカップに注ぐと泡がきめ細かくなり、また外側に汗をかくので冷えた感じが倍加される。のど越しのうまさ...。ドイツ(ハンブルク)にいたころは生ビールをよく飲んだ。特に、テニスやゴルフのプレイ後、またサウナで汗をかいたあと隣接のバーで飲む生ビールは格別だった。向こうでは、時間をゆっくりかけてビールを注ぐ。グラスに容量を示す目盛りがあって、それにピタリと合わせる。この錫製カップには目盛りが無く、装飾性もゼロで全くシンプルである。職人さんがコツコツと根気よくたたいて成形したのだろう。凹凸がまた味わいを醸し出し、型成形ものとは違って手づくりの温かみが感じられる。産業革命以前の室内工業的雰囲気が漂う。そして、アサヒのスーパードライ。市場に出てから早や24年が経った。超ロングランのヒット商品である。その開発ストーリーもまた”手づくり”のぬくもりを感じさせてくれる。手づくりものは、息が長いようだ。
  http://www.superdry.jp/cover/develop/index.html




浜松木櫛(6月9日)

ことまち横丁の売店の一角、4代目松山順一氏の作品が並ぶ。額に入っているのが「富嶽櫛」

白州正子著「日本のたくみ」(新潮文庫)の中に浜松の櫛職人・松山鉄男氏(3代目)が紹介されている。”目きき”白州正子氏の目にかなった東海地区ではただ一人の「日本のたくみ」である。元目町(浜松城の近く)にある松山氏のお宅を12年前に訪ねたことがある。鉄男氏はお体を弱くされ病床の身であられたので、奥様が応対に出られた。部屋の鴨居には、鉄男氏が手がけられた縄文以来の櫛の名品の数々がレプリカとして飾ってあった。黄楊の櫛を1点譲っていただいた。2年前に久方振りに元目町に伺うと、家は新築されご長男の代になっていた。鉄男氏も奥様も数年前に他界されていた。順一さんが4代目として木櫛の伝統手法を継がれている。今朝小国神社(静岡県周智郡森町)に参拝したおり、第一鳥居横の”ことまち横丁”(鈴木康之社長)の売店の一角で順一氏の作品を見ることができた。同神社の社務所裏に”いすの木”という非常に硬い材質のご神木があり、故あって伐採された枝を使って制作されたものだ。鉄男氏の頃からのご縁なのだろう。中でも目を引かれたのが、”富嶽櫛”と銘打たれた、富士山の形を模した櫛である。精神性が感じられる名品である。”いすの木”は木の葉に「まゆ型の穴のある「から」ができ、風が吹くと「ひょう」という音を出すので”ひょうの木”とも呼ばれる(小国神社の説明板より)。小国神社のご祭神・大巳貴命はこの”ひょうの笛”を吹き、めでたく女神と契りを結ばれたようだ。枝打ちされたものから櫛が生まれ、それがまた新たな人と人との縁結びに繋がる訳にして、明治維新の頃江戸から浜松に移り住み、刀を冶工具に持替え新しい生活を築いた初代・助義氏以来の”浜松木櫛”の伝統手法が鉄男氏を経て順一氏(4代目)に継承され存続していることを大巳貴命様も喜ばれているに違いない。いやこの神様のご神徳に因るものかも知れない。


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