文化・芸術イベントやアート・絵画イベントの企画・運営ならアートフォースM&Kにお任せください。日本を 

サイト内検索 ホームページ制作・スマホサイト制作・CMS サイト管理画面

トップページ > ブログ > 美術

ブログ

1/7ページ 全部で34件中 1-5件を表示
鷹見泉石像(6月17日)

「鷹見泉石像」渡辺崋山作、絹本着色、国宝

作者の渡辺崋山(寛政5年,1793~天保12年,1841)は、三河國田原藩の藩士の子で江戸に生まれた。父親の禄は僅小で、崋山は極貧の中で絵を描きそれを売って生計を支えたという。剣術にも秀でていたのであろう、運筆に一切の迷いがない。背景を描かない空間処理の巧さは宮本武蔵(二天)の傑作「古木鳴鵙図」を連想させる。西洋画の陰影法を取り入れてあると言われているが、一体崋山は当時のどの西洋画をみたというのであろうか?鷹見泉石(天明5年,1785~安政5年,1858)は、儒学者で幕府の能吏であって、あの大塩平八郎の乱を制圧した人物である。その怜悧な人間性を見事に崋山は「写して」いる。「源頼朝像」に比肩する凛とした空気感、品位と精神性の高さがひしひしと伝わってくる。泉石53歳の像で、崋山はその時44歳。蛮社の獄のきっかけとなったモリソン号事件の年である。愛知県の田原博物館でこの作品を見えるかと思いきや、「佐藤一斉像」と共に東京国立近代美術館の蔵という。
夢二とアラーキー(5月25日)

「夢二とアラーキ―展」のDMはがき

今から丁度20年前に開催した。「女性美・官能」をテーマにして、夢二の木版画とアラーキ―こと荒木経惟氏の写真作品「情事」をカップリングした。それぞれ20点、ギャラリー蔵(浜松市中区入野町)の一階に荒木作品、2階に夢二作品を配置した。両方のファンの方が見えて、女性の来場者も多くなかなかの盛況ぶりだった。薄暗いイメージの蔵空間という場所の設定も功を奏した感じだ。湖西のギャラリーで「椿展」をやった時にも「昭和レトロ商品博物館」(青梅市)から荒木作品をお借りしたので、浜松・青梅を2回ほど車で往復したことになる。

竹久夢二は岡山の酒造を営む家に生まれ、いたずらをしてお仕置きで蔵に閉じ込められ、そこで春画を視たのが性の目覚めとなった。アラーキこと荒木経惟氏は、どんなそういった原体験があったのか不問にして存じ上げない。夢二以上に女性のエロスを被写体としてあくなき探求の道をストレートに歩んできた。奇しくも今日は荒木先生の誕生の日である。日頃ほとんどの善男善女が意識下に置いている情念のマグマをずばり写真という媒体で露にし喝采を浴びた。世紀末芸術の殿堂であるヴィーンのsecession(分離派)でも個展を開いた。奥様の陽子さんも、そういう荒木氏の対象への切り込み方に共感を覚えたのだろう、このお二人の新婚旅行の様子は氏の作品集となって公けにされている。

山下青崖と報徳(5月23日)

岩水寺境内にある山下青崖畫伯記徳碑

山下青崖は、郷土遠州が生んだ日本画の大家である。安政5年(1858)、まさに江戸幕府末期に長上郡木船新田村(現・浜松市浜北区貴布祢)の醸酒業の家に生まれたが、9才の時家運が傾き笠井村の旧家・山下家の庇護を受けた。17才の頃より絵を習い始め、明治14年からは東京に出て渡辺小崋(崋山の子)に学ぶ。小崋が皇居杉戸絵の注文を受け、その制作を手伝った。というか、小崋病みがちのため代行したという。渡辺小崋は[南宋画の泰斗]と岩水寺にある青崖さんの顕彰碑の裏面に記されているが、青厓さんはそれを学びながらも日本画へと抜け出している。繊細で華麗な着彩による花鳥画ばかりでなく崋山の作風に準じた人物がも遺している。清雅で厳粛な画面構成は横山大観がそうであったように、武士の血の流れを感じさせる。この石碑が顕彰碑ではなく記徳碑となっているのは、報徳社との繋がりを感じさせる。大日本報徳社第三代社長・岡田良平氏が碑の題字を揮毫されていること、また報徳の人・松島十湖が賛を書き青厓さんが画を付けている軸物があること、などはその裏書きと思われる。この石碑は昭和6年(1931),青厓畫伯73才の時に建立された。二宮金治郎が42才の頃断食祈願をされた新勝寺(千葉県)と同じく真言宗の岩水寺の境内にある。我が家から東に車で10分という近さである。

日本画の精華 栗原幸彦展2020(令和2年4月3日)

「栗原幸彦展2020」の会場

遠江國一宮小國神社が会場である。 平成22年以来隔年で開催を続け、今年で6回目となった。日本画の基本画題である花鳥風月の世界を中心に富士や龍(6年前から)の作品にも精力的に取り組んでいる。今回は双龍や不二越えの龍など、単独の龍ではなく一歩踏み出した形で大胆に構想を発展させている。無意識の裡に時代精神を反映させているような節が感じられる。大したものだ。「遠州の力」の発露がここにある。
今日は昭和天皇が崩御された日、あれから31年が経った。小國神社では午前8時から「昭和天皇祭遥拝」が行われたようである。天気予報では雨であったが、雨が降り始めたのは午後遅くからであった。そうした中思ったよりも大勢の方々が会場にお見えになられた。お一人で、お仲間で、ご家族で、カップルで、と様々である。それぞれに笑顔で会場を回っておられました。
1/7ページ 全部で34件中 1-5件を表示