ブログ
柳宗悦という人は、作家の創る不要不急の芸術作品に対して「用の美」という分野で対抗しようとした。会場の入り口でそんな説明文を読んで違和感を感じてしまった。聖徳太子が唱えた和の國日本、二宮尊徳が唱導した一円融合の考えを礎とする共同社会日本、そういう国柄であるのに何故そういった対立概念を打ち立てるのか?聖徳太子が三宝を敬えといったその三宝とは、仏・法・僧ではなく、神道・仏教・儒教であり、それらの融合、補完的協調を大事にせよ、と仰せられたのであり、その1200年後に現れた二宮尊徳もそれを継承している。翁の創設した「報徳思想」の構成は「神・儒・仏一粒丸」と言ったのである。
柳のような対抗的挑戦意識、対立概念は日本精神にとって異質のものである。
柳のような対抗的挑戦意識、対立概念は日本精神にとって異質のものである。
今日の午前中、気になっていた「遠州の民芸展」を観に行った。拝観料1200円のところ、70才以上は半額の600円ということだった。1200円だとためらっただろう。経費がかかっているにしても、公共の施設なのだから何とかすればよいと思うのだが。いまはやりの緊縮財政の方針ゆえなのだろう。将来への投資を怠って、「今だけ」「金だけ」の発想である。若い将来世代の層は来なくなって、文化的分断につながるのでは、といらぬ心配をしたくなる。
順路が何故か2階からとなっている。黒い布で入り口が塞がれており、まるでお化け屋敷のようである。説明文は、日本語、英語、ポルトガル語(?)の三言語。日本語という国語が相対化されている。見る前から「違和感」が湧いてきた。そもそも「民藝」は民衆芸術の略であるということに疑問が生じた。元言語はfolk artなので、本来は「民族芸術」と訳すべきであろう。昭和初期に宗教哲学者・柳宗悦によって起こされた運動であるが、大正時代に起ったロシア革命(1917年)の階級闘争の考えに染まっているのでは?と邪推された。我が国は「一君万民」「君民一体」の国柄であるのに。
順路が何故か2階からとなっている。黒い布で入り口が塞がれており、まるでお化け屋敷のようである。説明文は、日本語、英語、ポルトガル語(?)の三言語。日本語という国語が相対化されている。見る前から「違和感」が湧いてきた。そもそも「民藝」は民衆芸術の略であるということに疑問が生じた。元言語はfolk artなので、本来は「民族芸術」と訳すべきであろう。昭和初期に宗教哲学者・柳宗悦によって起こされた運動であるが、大正時代に起ったロシア革命(1917年)の階級闘争の考えに染まっているのでは?と邪推された。我が国は「一君万民」「君民一体」の国柄であるのに。