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『ゲルニカ』②(2月14日)

ピカソ『ゲルニカ』、1937年制作、349x777cm、現在はプラド美術館(スペイン)が所蔵

「ゲルニカ」の静けさは同じものではない。ここでは表情自体はあらはで、苦痛の歪みは極度に達してゐる。その苦痛の総和が静けさを生み出してゐるのである。「ゲルニカ」は苦痛の詩といふよりは、苦痛の不可能の領域がその画面の詩を生み出してゐる。一定量以上の苦痛が表現不可能のものであること、どんな表情の最大限の歪も、どんな阿鼻吸喚も、どんな訴へも、どんな涙も、どんな狂的な笑ひも、その苦痛を表現するに足りないこと、人間の能力には限りがあるのに、苦痛の能力ばかりは限りも知らないものに思はれること、・・・・・
かういふ苦痛の不可能な領域、つまり感覚や感情の表現として苦痛の不可能な領域にひろがってゐる苦痛の静けさが「ゲルニカ」の静けさなのである。~ Y社の駐在員として8年間ドイツに住み、6回目の夏休み(1982年)を利用して車でスペインを旅行した。その時マドリッドで『ゲルニカ』を見たことがある。プラド美術館の外に設けられた仮設の展示場で、入口には銃を持った兵士が警備するというものものしさがあった。

『ゲルニカ』①(2月13日)

昨年11月初めから開催されていた「三島由紀夫展」(作家・渥美穣児コレクション)が明日最終日を迎えるので寄ってみた。会場はクリエイト浜松5階に(鹿谷町から)移転した浜松文芸館である。大変充実したコレクションで、産業都市・浜松で観覧できるのは奇跡というほかない。さらに、渥美穣児氏が会場に居られて歓談が出来たのは幸いであった。帰宅後、昨年12月に時代舎という古本屋で買ってあった『アポロの杯』(初版本)を開いてみた。この本は昭和26年暮れから半年間で世界一周(北米、南米、欧州)をした時の紀行文である。27才の誕生日(1月14日)を迎えたニューヨークではMOMAを見学。そこでピカソの『ゲルニカ』を見たらしい。~ 白と黒と灰色と鼠がかった緑ぐらゐが、ゲルニカ画中で私の記憶してゐる色である。色彩はこれほど淡泊であり、画面の印象はむしろ古典的である。静的である。何ら直接の血なまぐささは感じられない。画材はもちろん阿鼻吸喚そのものだが、とらへられた苦悶の瞬間は甚だ静〇である。希臘彫刻の「ニオベの娘」は、背中に神の矢をうけながら、その表情は甚だ静かで、湖のような苦悶の節度をたたへて、見る人の心を動かすことが却って大である。ピカソは同じ効果を狙ったのであらうか?

大観の月(9月15日)

月の光の源は太陽である。以前、あれはもう何年前だったろうか?伊賀に小旅行をして、松尾芭蕉記念館や上野城を見学した。その時上野城の売店で大観の天井絵の色紙を買った。まさしく満月だ。大観は月を描くことによって見えない太陽を描いた。色即是空 空即是色の世界である。東洋のこの認識空間の高みに至るまで西洋はゲーテの「ファウスト」完成まで待たねばならなかった。その第二部の最終場面でゲーテは次のように書いた。
    すべての移ろいゆくものは
ただ仮初に過ぎず
成しえなかったことも
ここでは成就する。
名状しがたきものも
ここに形となる。
永遠に女性的なものが
我らを高みの彼方へと誘ってくれるのだ。

ちなみに、この部分はマーラー(1860~1911)が交響曲第八番の最終部分で音符を付けている。









肉筆模写・泰西名画展

ルノワール原画「イレーヌ・カーン・ダンベール嬢」(模写:積木節雄)

模写絵画による「泰西名画展」の初日を迎えた。会場は、フォト&ギャラリー広沢(浜松市中区広沢)である。フェルメールから印象派、そしてP.くれーまでというふれこみで、計18点を展示。ギャラリーの白壁に色鮮やかな油絵作品が良く映えている。うち3点は個人の所蔵家からお借りしたものである。時代的には17世紀から20世紀半ばまで。模写というと、日本ではどうしても低く見られてしまうが、ヨーロッパではそれなりの市場があり、かつて15年ほど前にはエルミタージュ美術館(ロシア)の模写班の作品展が東京で開かれた由。
デ・キリコ展(9月16日)

イタリア人画家ジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)の展覧会が開催されている。油絵作品に加え、デッサンや彫刻も展示されており、うち7割が日本初公開ということである。形而上絵画と謳われており、ニーチェやショーペンハウエルなどの哲学書に影響を受けている。ギリシャ生まれのイタリア人らしく、古代ギリシャの神殿や馬が数多くモチーフになっている。会場は暗く、静謐な雰囲気が醸し出されている。目にみえる世界の背後に潜む、いわば目に見えないもの(形而上)をその作品を見る者に提示しているのだろう。音楽と同様に共通のイデイオムとして評価されているのだろうが、たいていの素朴な日本人にとっては歯が立ちにくい食べ物である。明治維新以来の西洋崇拝の根性がもう旬ではない時期に来ているのである。まずは、地産地消である。
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