月の光の源は太陽である。以前、あれはもう何年前だったろうか?伊賀に小旅行をして、松尾芭蕉記念館や上野城を見学した。その時上野城の売店で大観の天井絵の色紙を買った。まさしく満月だ。大観は月を描くことによって見えない太陽を描いた。色即是空 空即是色の世界である。東洋のこの認識空間の高みに至るまで西洋はゲーテの「ファウスト」完成まで待たねばならなかった。その第二部の最終場面でゲーテは次のように書いた。
すべての移ろいゆくものは
ただ仮初に過ぎず
成しえなかったことも
ここでは成就する。
名状しがたきものも
ここに形となる。
永遠に女性的なものが
我らを高みの彼方へと誘ってくれるのだ。
ちなみに、この部分はマーラー(1860~1911)が交響曲第八番の最終部分で音符を付けている。
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イタリア人画家ジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)の展覧会が開催されている。油絵作品に加え、デッサンや彫刻も展示されており、うち7割が日本初公開ということである。形而上絵画と謳われており、ニーチェやショーペンハウエルなどの哲学書に影響を受けている。ギリシャ生まれのイタリア人らしく、古代ギリシャの神殿や馬が数多くモチーフになっている。会場は暗く、静謐な雰囲気が醸し出されている。目にみえる世界の背後に潜む、いわば目に見えないもの(形而上)をその作品を見る者に提示しているのだろう。音楽と同様に共通のイデイオムとして評価されているのだろうが、たいていの素朴な日本人にとっては歯が立ちにくい食べ物である。明治維新以来の西洋崇拝の根性がもう旬ではない時期に来ているのである。まずは、地産地消である。