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実りの秋(令和3年9月11日)

稲穂が頭を垂れ始めている。上空から見ると黄金色だろう。絵画では金色で表現するという。3年前に亡くなった日本画家・鳥居禮先生からもそういうことを教わった。
先日6日は悠仁親王殿下の15才のお誕生日であったが、お父君の秋篠宮皇嗣殿下より稲作のことを教わったという。稲作の起源は中国からというが、最近の研究ではもともと日本で始まったという説も浮上しているようだ。
瀧のコスモロジー(令和3年8月1日)

那智の瀧

パリから帰国した1992年の夏、「横尾忠則・飛瀧曼荼羅展」が熊野で開催されていたので観に行った。その時に那智の瀧を初めて見た。その前に鳥居が立ち、瀧がそのご神体であるのを知って衝撃を受けた。その姿も直下型の華厳の滝と違って霊体のような相を帯びていた。
それと同じような体験を1991年に南フランスで体験していた。夏休みに車で訪れたガバルニ―の瀧(落差422m)がその真下に立った時、落ちてくる水が霧状になってまさに霊体のようだった。那智の瀧もそのように見えた。異界というか超感覚的世界への誘いだった。
また那智寺の宝物館では横山大観の那智瀧図を観た。瀧の中央部が渦巻になっていた。


東京五輪開幕(令和3年7月23日)

コロナ禍のため延期になっていたTOKYO2020の開会式が本日午後8時より天皇陛下ご臨席の下華々しく開催された。しかし、その内容からは「日本」が抜けていた。全体を貫くテーマが「多様性と調和」という名の下に骨抜きにされていた。「君が代」独唱のミーシャという歌手の歌い方には清澄さがなく、発音や抑揚があばずれていた。「日本」が汚辱された感があった。一事が万事である。責任は現政権にある。

明治の報徳運動(令和3年7月11日)

報徳訓石碑

旧南庄内小学校からの帰り道、呉松町の神社に参拝した。國譲り神話の立役者・武甕鎚命を御祭神とする曾許乃御立神社で、神護景雲元年(西暦767年)創建という延喜式内社である。十数年前に初めてお参りした折に、拝殿横の報徳訓石碑を発見した。明治27年(西暦1894年)の建立と記されており、遠江國報徳社が浜松玄忠寺内に創設されちょり約20年後のことである。文明開化華やかなりし頃、農本主義を基調とする報徳思想・仕法も商工業の産業振興の潮流も生み出し殖産興業の牽引車的な位置に発展してゆく頃であった。地元に結社された報徳社3社(和地社、堀江社、白洲社)の出資によるものであった。127年経った今、石碑は苔むしており報徳訓108文字も判然としない。日清戦争を戦った頃でもあり、御祭神の武運長久のご神徳を仰いで建てられたのかも知れない。







二宮金次郎像(令和3年7月11日)

移送準備が整った金次郎像

本日早朝、旧南庄内小学校(浜松市西区庄和町)の校庭から金次郎像が台座ごと撤去された。大型クレーンによるその作業は篤志家KT氏のご尽力の賜である。移設先は浜松報徳館(浜松市中区元城町)で、遠州地方に報徳仕法を広めた安居院庄七翁顕彰碑(明治39年建立)脇に設置され、来月11日に除幕式が予定されている。
この石彫の金次郎像は昭和4年に設置されたが、松の巨木が覆いかぶさるように枝を張ったお蔭で長い年月の後も風雨に耐えて保存状態は極めて良い。そして、いままで見た石彫の金次郎像の中で一番表情が良い。昭和天皇が京都で即位された頃彫られたものであるから、鑿を振った石工の方はさぞかし清らかな祝賀気分と高揚感に包まれていたことだろう。
浜松報徳館は浜松東照宮に近く、参拝された方も鳥居を出る時にこの金次郎像を目にすることになる。昭和から令和へのバトンタッチがここに現出する。
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