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九輪の朝顔(8月20日)

朝顔は朝顔というだけあって、朝見るのが一番だ。今朝は何と9輪も咲いていた。5輪咲いた時は宮本武蔵の「五輪書」を想起し、今朝の
9輪からは、ベートーヴェンの「第九シンフォニー」やゲーテの「ファウスト」の一節を思い出した。以下、ゲーテの「ファウスト」第一部に出て来る「魔女の九九」である。以下、その解明である。~千々松健・思考道より~
ゲーテのファウスト第一部 魔女の厨(くりや)では3行3列のマス目に数字が入った図表が登場します。初めは右の図表の上のように綺麗に並んでいますが、それを魔女はあるテキストを朗読しながら操作して、下の方の表に変えてしまうのです。(このところはゲーテを研究したルドルフ・シュタイナーの考えを元にしています)

「一を十となせ、二を去るにまかせよ、三をただちにつくれ、しからば汝は富まん、四は棄てよ、五と六より七と八を生め。かく魔女は説く。かくて成就せん。すなわち九は一にして、十は無なり。これを魔女の九九という。」

完成品は、下の図表になります。
縦と横にそれぞれ数字を足すと全てが15になっています。通常の3次魔方陣と異なるのは中心が5ではなく7であること、そして、斜めに足すと15にならない箇所が対角線上に一つあることです。

「一を十となせ」:1を10に置き換える
「二を去るにまかせよ、三をただちにつくれ しからば汝は富まん」:1+2+3=6、より10+2+3=15に増えるので得をする。
「四は棄てよ」:4は2行目からは棄てて、3行目の最後の端に持って行け。元の4は無くなるので0とする。
「五と六より七と八を生め」:5と6は7と8に交換せよ。
「かく魔女は説く。かくて成就せん」:このように操作すれば魔女の魔方陣が出来上がる。
「すなわち九は一にして、十は無なり」:これら9マスで1セットとなり、10マス目以上は存在しない。
「これを魔女の九九という。」:これを魔女の九九(方陣)と呼ぶ。

通常の(3次)魔方陣は5を中心にして縦横斜めが全て15になるのに対して、魔女の九九と呼ばれる方陣は7を中心にして1が10に、9が0に化けている上に対角線上の合計が21になってしまうのが特徴です。

ひふみ算」では9÷9は商が1で余りは0ですから 9の商は1です。(すなわち九は一)また、1=10と初めに出てきますが、ひふみ算(mod 9)では10は1でもあるのです。すなわち10÷9は商が1で余りは1ですから、10=1になるのです。(一を十となせ)
この点は、ユダヤ教の神秘思想にあるカバラ式計算と同様です。例えば、2012年8月15日と言う数字をカバラ算では、2+0+1+2+8+1+5=19、1+9=10 すなわち、1に置き換えるのです。位(桁)に関係なく数字を足せばよいので簡単です。

ファウストにおいて魔女が朗時に使用したテキストは古代ギリシャの神話であろうと言われています。ゲーテが数学上に言う(mod 9)に何らかの魔力を見ているのは確かなことのようです。ただし、インドのヴェーダ思想や日本の古神道の「ひふみ算」の存在には気がついてたかどうかは不明です。


五輪に因んで(8月16日)

今朝咲いた朝顔五輪

遅く種を蒔いたので花が咲くかどうか心配だったが、今朝は3株で5輪も咲いた。5輪というと、まずオリンピックを連想するが、東京オリンピックが武漢ウイルスのせいで延期になり、また来年の開催も危ぶまれているので、ここではパス。宮本武蔵(天正12年・西紀1584~せ正保2年・西紀1645)が著した兵法書「五輪書」のことを調べてみた。剣聖・宮本武蔵が剣術の奥義をまとめたもので、①地の巻 ②水の巻 ③火の巻 ④風の巻 ⑤空の巻の五つの切り口で記されている。
1⃣地の巻:自らの流を二天一流と名付けたこと、これまでの生涯、兵法のあらましが書かれている。「まっすぐな道を地面に書く」ということになぞらえて「地の巻」とされている。2⃣水の巻:心の持ち方、太刀の持ち方や構えなど、実際の剣術に関することが書かれている。3⃣火の巻:戦いについて。個人対個人、集団対集団の戦いも同じであるとし、戦いにおいての心構えが書かれている。戦いの事を火の勢いに見立て、「火の巻」としている。4⃣風の巻:他の流派について。「風」というのは、昔風、今風、それぞれの家風などのこととされている。5⃣空の巻’兵法の本質としての「空」について書かれている。
ちなみに、五輪の旗を掲げるオリンピックを「五輪」と訳したのは、読売新聞の川本信正記者。由来は「五輪の書」であるという。
~以上、ウイキペディアより
豊橋市美術博物館(8月14日)

三ヶ根山から浜松への帰路は国一を通った。豊橋市役所の建物が見えて来て、その隣が美術博物館であることを思い出した。企画展で「吉田城と三河吉田藩」を開催中だったが、4時半を過ぎていたので入場は出来なかった。吉田藩からは歴代4名の老中を輩出しており、7万石ながらも城の跡地を活用した緑豊富な公園の落ち着きからも格式の高さを偲ばせる。残念ながら、浜松にはこういう雰囲気の場所がない。
かつて見たことのある神武天皇像はすぐ見つかった。明治天皇のお顔を模したといわれる銅像は実に立派である。背後に豊かな水をたたえた川が流れており、その立地も素晴らしい。東名で帰っていたならばこういう体験は出来なかった。美術博物館に隣接するカフェでソフトクリームを注文。暑い中を歩いた後だけに格別に美味しく感じられた。市役所の建物、公会堂や吉田城跡公園など、文化の香りとセンスの良さを感じてしまった。

浜松報徳館(6月13日)

浜松東照宮(中区元城町)の鳥居を出て直進30m位右手に浜松報徳館がある。明治18年に遠州の報徳運動の拠点として建てられた建物は戦災で焼け、昭和25年に再建された。幾つかの変遷を経て現在は、大日本報徳社(掛川市)のの分館として位置付けられている。50年前から西遠連合報徳社として毎月第二土曜日に常会が開かれているが、武漢発の新型コロナウイルス感染防止のため、4月、5月の常会は中止となった。今日は、本来4月に行われるはずだた「先賢物故者慰霊祭」が神官をお迎えして執り行われた。祭壇に神饌をお供えし、修祓・祝詞奏上・献餞など粛々と進行した。岡田佐平治、岡田良一郎、小野江善六ら、報徳運動の振興に貢献された先賢の名前が祭文の中で読み上げられ顕彰された。
芒種(6月5日)

二十四節気のひとつで、今年は6月5日~20日がこれにあたる。物事を始めるのに縁起が良いと言われる。
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