今月初めからWBCで盛り上がっている。吾らがサムライニッポンは連勝をものにしている。対シナ、対韓国、対チェコ、そして今日は対イタリア戦で勝利した。しかも大差をつけての勝利である。
日本選手の中でも特に大谷翔平選手にスポットが当たっている。東北生まれの28才。身長1メートル94センチ、体重95キロ。竹のように真っ直ぐだ。そして円に近い。ピッチングと打撃、これらの両方に長けている。
今から1300年余年前の奈良時代にも28才の二刀流がいた。古事記の編纂に寄与した稗田阿礼である。目にしたもの、そして耳にしたこと、それらを容易く諳んじたという。~姓は稗田、名は阿禮、年はこれ廿八。人と為り聡明にして、目に度(わた)れば口に誦(よ)み、耳に拂(ふ)るれば心に勒(しる)しき。~
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ドイツの詩人ゲーテ(1749-1832)が自然科学者であったことはあまり知られていない。自分自身、大学のゼミはドイツ文学だったが、そんなことは教わらなかった。Y社の海外駐在員としてドイツ在住時(1978~1986)にヴァイマール(当時は東ドイツ)でゲーテ記念館を訪れ、そこでゲーテの鉱物コレクションを見てあれっ?!と思った位なのである。
色彩論においてゲーテはニュートンを超えたらしい。ミクロコスモスからマクロコスモスへ。19世紀の終わりごろにゲーテ全集が編纂された時、自然科学者ゲーテの項を担当したのが人智学者ルドルフ・シュタイナー(1861~1925)であったことはゲーテの功績を正当に評価したという意味で象徴的なことであった。人智学とは粗っぽくとらえらば神智学と民俗学とをアウフヘーベンしたものである。科学と宗教と芸術の融合、合一を目指し、スイスのドルナッハにその活動拠点がある。ゲーテに敬意を表してゲーテアヌムと名付けられている。
色彩論においてゲーテはニュートンを超えたらしい。ミクロコスモスからマクロコスモスへ。19世紀の終わりごろにゲーテ全集が編纂された時、自然科学者ゲーテの項を担当したのが人智学者ルドルフ・シュタイナー(1861~1925)であったことはゲーテの功績を正当に評価したという意味で象徴的なことであった。人智学とは粗っぽくとらえらば神智学と民俗学とをアウフヘーベンしたものである。科学と宗教と芸術の融合、合一を目指し、スイスのドルナッハにその活動拠点がある。ゲーテに敬意を表してゲーテアヌムと名付けられている。
名古屋発の三四郎が乗った汽車が豊橋を経て浜松駅で停車している時の様子が描かれている。~濱松で二人とも申し合わせた樣に辨當を食った。食ってしまっても汽車は容易に出ない。窓から見ると、西洋人が四五人列車の前を往ったり來たりしてゐる。其のうちの一組は夫婦と見えて、篤いのに手を組み合わせてゐる。女は上下とも眞白な着物で、大變美しい。...
髭の男は、「御互いは憐れだなあ」と云ひ出した。「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等國になっても駄目ですね。」三四郎は日露戰爭以後こんな人間に出逢ふとは思ひも寄らなかった。どうも日本人ちゃないような気がする。「しかし是からは日本も段々發展するでせう」と辨護した。すると、かの男は、すましたもので、「亡びるね」と云った。
髭の男は、「御互いは憐れだなあ」と云ひ出した。「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等國になっても駄目ですね。」三四郎は日露戰爭以後こんな人間に出逢ふとは思ひも寄らなかった。どうも日本人ちゃないような気がする。「しかし是からは日本も段々發展するでせう」と辨護した。すると、かの男は、すましたもので、「亡びるね」と云った。
森町の小國神社から自宅への帰り途半ば、日本一美しい夕日が見えると言われる天竜川の堤防の少し手前にある隠れスポットを訪ねた。ヤマハ・ピアノの運送で蓄えられた財を基に創設されたシルクロードミュージアム(鈴木鐵男館長)である。展示されているどれもが超レアもので、超一級品ばかりである。見ていると文字通り眼福を味わえるのである。館内から外を見やると手入れの行き届いた庭の木々に心が癒される。白木蓮や紅梅、そして寒緋桜が満開である。
~華麗なるイスラム工芸の世界:ペルシャの煌めき~と銘打った展示が開催されていた。5月29日迄の会期で、「九谷 現代陶芸の名工」展が同時開催となっている。眼にしみじみとそれらの美の光りが伝わってきた。
びっくりしたのは、千代の富士関の雲竜型の横綱と婚礼衣装、そしてお嬢さんのためのひな人形が特別展示されれていたことである。
~華麗なるイスラム工芸の世界:ペルシャの煌めき~と銘打った展示が開催されていた。5月29日迄の会期で、「九谷 現代陶芸の名工」展が同時開催となっている。眼にしみじみとそれらの美の光りが伝わってきた。
びっくりしたのは、千代の富士関の雲竜型の横綱と婚礼衣装、そしてお嬢さんのためのひな人形が特別展示されれていたことである。