あるテレビ番組で俳優で冒険家の藤岡弘さんがナビゲーターで紹介されていた。番組の中で藤岡さんがこの風穴に湧き出る硬水でコーヒーを入れて美味しそうに飲んでいた。それにつられてこの硬水を買いに行ったのだった。パンフレットには~天然のミネラルをバランス良く含み、くせの無いまろやかな味が特徴。お茶の香りや色が良く、お米などに利用すると、おいしくご飯が炊けます。~
38年前に発見され、2年をかけて中に詰まっている土石を運び出したという。鉄の階段も2ヶ所ありその作業のご苦労が偲ばれた。滝も数か所あり、洞窟内の気温は16度だった。全長180メートルあり、狭く凹凸だらけの空間なのでちょっとしたスリル感も味わえる。それだけに約20分の洞内巡りが終わり外の明かりが見えて来るとホッとした気分となる。いってみれば「異界への旅」であった。
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1981年の夏休みは、前半をギリシャ旅行、後半をバイロイト音楽祭で過ごした。今から思うととても贅沢な組み合わせだった。丁度40年前の事である。まだ30才だった。ハンブルクからフランクフルトまで約500Kmを車で移動。そこから空路アテネへ。計7泊のうち3泊4日を地中海クルージングに充てた。City of Rhodosという客船でエーゲ海の島々を訪ねた。空も海も青く美しかった。ロードス島→ティラ・サントリー二→ミコノス島→クレタ島を巡った。歴史の宝庫である。船内泊は楽しかった。朝夕の食事は船内で、昼食は訪れた島で。夕食の後はアトラクションの数々。いろんな国々の人に出会った。中近東に駐在している日本人家族やヴィーンからみえているご家族と仲良くなった。アトラクションの司会の方はきれいな女性で一度に6か国語を立て板に水のように喋った。日本語はなかったが。エーゲ海はエメラルド色に澄んでいた。
クルージングの前後2泊づつはアテネ市内及び近郊の観光を楽しんだ。日差しは強かったが、パルテノン神殿のふもとのアゴラの中はとても涼しかった。空気は乾燥していた。郊外に足を延ばしスニオン岬で風に吹かれた。海風は強かった。ポセイドン神殿の下の海は浅瀬でしばし泳ぎ戯れた。三島由紀夫が賞した「馭者像」のあるデルフィ博物館は閉館しており入館出来なかったのは残念だった。アテネから空路フランクフルトまで戻り、車でバイロイトに向かった。
クルージングの前後2泊づつはアテネ市内及び近郊の観光を楽しんだ。日差しは強かったが、パルテノン神殿のふもとのアゴラの中はとても涼しかった。空気は乾燥していた。郊外に足を延ばしスニオン岬で風に吹かれた。海風は強かった。ポセイドン神殿の下の海は浅瀬でしばし泳ぎ戯れた。三島由紀夫が賞した「馭者像」のあるデルフィ博物館は閉館しており入館出来なかったのは残念だった。アテネから空路フランクフルトまで戻り、車でバイロイトに向かった。
いつだったろうか?ヴィーンに行った折に、シュタイナーが幼年時代(1863-1869)を過ごしたPottshachポトシャッハという村まで行ったことがある。ヴィーン中央駅から列車で南に70キロ走った所である。お父さんが駅詰めの電信技師だった関係で鉄道駅舎に住んでいた。手前には湯治地で有名なバーデンがあり、もっと先の210キロまで行くと指揮者のカール・ベームのご郷里グラーツがある。まずグラーツ迄行って戻り道にシュタイナー縁の駅で降りたのかもしれない。今でいうところのクロアチアで生まれ、2才の時にポトシャッハ、8才の時にノイドルフへ。ここで18才の時まで過ごす。地上を伝う線路を毎日見ていたことが、シュタイナーが地上的なものから目をそらさなかったことに繋がり、また父親が電信という目に見えない手法で遠隔地と交信していたことが恐らくシュタイナーの霊能者としての優れた資質の形成に繋がったのではなかったろうか?現場に行ってみてそんなことに想いを馳せたのである。