文化・芸術イベントやアート・絵画イベントの企画・運営ならアートフォースM&Kにお任せください。日本を 

サイト内検索 ホームページ制作・スマホサイト制作・CMS サイト管理画面

トップページ > ブログ > 観光

ブログ

1/5ページ 全部で25件中 1-5件を表示
神の國、桜の國(令和3年4月1日)

今日はお借りした作品の返却で新城へ。引佐から三遠南信自動車を通って約40分。トンネルが4本もあり、途中で車を止め山に咲く桜を遠望した。里桜も悪くはないが、やはり桜は山で見るのがいい。すべてが一本桜だ。鳥が種を落として自然発生したものだ。
帰り道には報徳運動の指導者・福山瀧助翁(1817-1893)の墓参りのため、もと来たみちでなく三河大野、長篠を経て257号線を戻った。道中いたるところに桜が満開だ。花桃などは民家の庭先に桃色と深紅の混合が鮮やかだ。山あいの道を走っていると、自然と日本は神の國であり、また桜の國だということを実感した。住民が植えた桜も並木ではなく一本桜で人工的でないのが良い。
鉄道の旅 in Europe③オーストリア(令和3年3月6日)

1916年製造のWR4250

いつだったろうか?ヴィーンに行った折に、シュタイナーが幼年時代(1863-1869)を過ごしたPottshachポトシャッハという村まで行ったことがある。ヴィーン中央駅から列車で南に70キロ走った所である。お父さんが駅詰めの電信技師だった関係で鉄道駅舎に住んでいた。手前には湯治地で有名なバーデンがあり、もっと先の210キロまで行くと指揮者のカール・ベームのご郷里グラーツがある。まずグラーツ迄行って戻り道にシュタイナー縁の駅で降りたのかもしれない。今でいうところのクロアチアで生まれ、2才の時にポトシャッハ、8才の時にノイドルフへ。ここで18才の時まで過ごす。地上を伝う線路を毎日見ていたことが、シュタイナーが地上的なものから目をそらさなかったことに繋がり、また父親が電信という目に見えない手法で遠隔地と交信していたことが恐らくシュタイナーの霊能者としての優れた資質の形成に繋がったのではなかったろうか?現場に行ってみてそんなことに想いを馳せたのである。
鉄道の旅 in Europe②ドイツ(令和3年3月5日)

ルフトハンザ航空が1982年に鉄道サービスを開始した。空港間(デュッセルドルフ⇔フランクフルト)200KmをDB(Deutsche Bahn,ドイツ鉄道)の車体を借りて運行したのである。普通の鉄道乗車券でなく航空券でないと乗せてもらえない。全席一等席で、ルフトハンザの美人スチュワーデスが国内線ファーストクラスの「機内食」を運んでくれた。コンパートメントなのでグループ旅行での移動に最適だ。しかも、ライン河沿いに走るので、古城の風景やローレライなどを見ながら快適な2時間を楽しめた。Y社の本社からのドイツへの出張者のスケジュールにこのエアポートエクスプレスを組み込んであげたら大変喜ばれた。また技術部のメンバーに同行してきたGKデザインの方にはInterCityにも乗せて差し上げ、のちの成田エクスプレスのデザイン考案に生かしていただけたようである。残念ながら、このエアポートエクスプレスは1993年に廃止となった。
小國神社の紅葉(11月21日)

「コレクション:ブルー展」会場階より

拝殿近くを流れる宮川に赤い太鼓橋が架かっている。そこを中心に紅葉がいまたけなわとなっている。紅葉狩りと七五三参りとで境内には多くの人出があった。今日の4時半からそのライトアップが始まり、その美しさが一段と増した感じである。「コレクション:ブルー展」の会場で「青の世界」を、そして会場をあとにしてから「赤の世界」双方の眼福を楽しめるという不思議な組み合わせが現出した今日の小國神社であった。
佐久の鯉料理(3月8日)

夕食は佐久ホテルの鯉料理をご馳走になった。海の魚の流通が良くないのだろう。刺身、味噌煮のほかにカツ料理もある。20年前に小諸の中棚荘に泊まった時初めて鯉料理を食べた。鯉料理を始めたのはこの佐久ホテルが最初とのこと。さすが歴史ある老舗旅館である。若山牧水もこのホテルで鯉を食べ、歌に詠んでいる。5名の会食であったが、銘々の料理を分け合って食べて楽しいひと時を過ごせた。夕食後温泉に入ったが、熱の伝播速度が速く、体を突き刺すように芯迄暖まった。
1/5ページ 全部で25件中 1-5件を表示