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姫路城(7月3日)

世界遺産に登録されている姫路城の天守閣が目下修復工事中である。鉄骨の足場の一部にエレベーターが取り付けれれており、真近で見学が出来るようになっている。白鷺城と呼ばれるその麗しい概観は今はスッポリと布で覆われていて観ることが出来ない。前回の修復から50年振りとのことである。
椿(4月12日)

今日は鳥居禮展の休館日である。遠州灘(浜松市南区)に近いある会社に鳥居作品の納品に伺った。今年の暮れに操業を開始するインドネシアの工場に鳥居禮筆の「富士図」を飾られるとのことである。ここの社長さんは、いわゆる一日参りで小国神社に見え、鳥居禮展に入場された。鳥居画伯と同年のお生まれというのもご縁である。その会社のすぐ近くには浜松市の南区役所があり、以前ここで「拉致被害・未帰還者と家族の写真展」の開催に協力させていただいたことを思い出した。神社があったのでお参りしたが、その境内に椿の花びらが散り敷いていた。苔の上に散り乱れた様は艶やかできれいだった。”散り乱れ 人の眼癒す 椿花 その艶やかさ 変わらざりけり”(筆者) 桜もそうであるが、椿もまた散り方が潔い。日本人の美徳(大和心)に相通じるものがある。見上げると、抜けるような青空の遠州晴れの午後のひとときであった。
蓬莱橋(3月10日)

”ここが真ん中”という表示があり、そこから撮影。

所要があり、島田市博物館に坂巻主席学芸員を訪ねる。ちょうど8年前にこの博物館で”日本の美 さくら展”を企画、プロデユースさせていただいた。思いで深い場所である。静岡空港に移動する前に博物館近くにある蓬莱橋に行く。世界一長い(約900メートル)木造の歩道橋ということでギネスブックにも登録されているようだ。明治14年(1891年)に建造されたこの橋は賃取橋で、大人100円、小人10円、自転車100円、一ヶ月定期800円である。真ん中辺りまで歩いてみたが、風が強く吹き飛ばされそうだった。幅が2.4mしかないため、ちょっとばかし怖かった。歩行者専用の橋といえば、沼津にその名も”あゆみ橋”というのがある。現代にこういうコンセプトの橋が立てられたことに感銘した覚えがある。蓬莱橋右岸は牧の原台地で、茶の栽培が盛んである。
今日の富士(3月6日)

富士川SA手前の富士

東名を使って三島に行く途中、由比のトンネルを抜けると雄大な(日本一高い)富士山が姿を見せる。右手には日本一深い駿河湾。ちょうどほどよい下りの坂道になっているのも演出めいていて良い。富士川SAで10分ほど富士山をみながら休憩。ここではいつも寿司を買って食べる。今日は長崎の寒鯖を美味しくいただく。旬の味わいが格別だ。三島のS氏のマンション5階から真っ白な
富士山が見える。”三島の富士”だ。富士川の富士よりも雪が多い。今日は風が強い。S氏宅をお暇して、三嶋大社の前を南下。下田街道である。NPOオアシスの会主催の講演会会場は韮山時代劇場。源頼朝公が流されていた蛭が小島は目と鼻の先である。そこからも富士山が見える。頼朝公は毎日富士山を見ておられたのだ。力を溜め、やがて旗揚げの時には、伊豆国一宮・三嶋大社で必勝祈願をする。その精神、胆力は日々の富士見によって鍛えられたのかも知れない。今日は啓蟄の日であった。そして、富士山にシャッポが被る日の翌日は天気が崩れるという。
薄墨の桜(3月3日)

「根尾谷の薄墨桜」の切手シート

河津桜がいま咲き誇っている。その濃い桃色は、花が葉に先行するという”艶消し”を見事に補っている。同じく葉が出る前に咲き誇る淡いピンク色の染井吉野ではこうはいかない。先月23日に三嶋大社で河津桜が咲きかけたのに出くわしたが、昨夕浜北の友人の庭では満開、絶頂を迎えていた。力強く、生きるたくましさと勢いを感じさせる。今日近くの郵便局で「根尾谷の薄墨桜」の切手を見つけた。ちょうど今、日本画家の鳥居禮画伯による「霊峰富士と桜展」を準備中というタイミングにぴったりなので早速シートを買った。写真ではなく、日本画家・伊藤嘉晃の作品が使用されている。太く逞しい幹が生命力のたくましさを伝えている。この世に名高く、日本の三大桜のひとつでもある「根尾谷の薄墨桜」は、蕾のときは淡いピンク色、満開のときは白、散り始めると淡い墨色と変容するらしい。第26代継体天皇の御手植えという伝承もあり、樹齢1500年余のエドヒガン桜の老木は大正9年(1922年)に天然記念物に指定された。しかし、戦後しばらくしてから衰弱し始め”余命3年”と診断された。その救済運動を展開したのが作家の宇野千代(明治30年/1897年~平成7年/1996年)である。昭和43年/1968年発行の雑誌「太陽」4月号に寄稿した「薄墨の桜」が発端になったという。宇野千代さん70才のときであった。
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