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なかにし礼と12人の女優たち(12月26日)

数か月前にTSUTAYAで借りたCDのタイトルである。なかにし礼作詞の曲をオリジナル歌手に替えて女優に歌わせるという企画で、なかなかの出来栄えである。本職の歌手ではないのに、玄人裸足とはこのことかと思うほどにそれぞれのいい味が出ている。それぞれの女優さんの頑張りもあるだろうが、やはりなかにし礼という《表現者》の演出力の成せる成果かと思う。それが動画で見れるということが分かり、これまた驚きである。女優という人種の凄さに目を見張ったのである。官能性が香り立っているのである。これもなかにし礼という、ある意味魔術師の手練手管が自然な形で女優さんたちの協力をえていて、熟成したコラボが現出しているのである。12人の女優とは、①常盤貴子 ②水谷八重子 ③南野陽子 ④平淑恵 ⑤浅丘ルリ子 ⑥桃井かおり ⑦泉ピン子 ⑧佐久間良子 ⑨高島礼子 ⑩草笛光子 ⑪大竹しのぶ ⑫黒柳徹子 の面々である。万葉集に収められている歌の数に近い4000曲もの作詞をするに至ったそもそものきっかけは石原裕次郎さんとの出会いであったという。このCDはなかにし礼の作詞家・作家生活50周年記念として企画された由。ちなみに、島倉千代子の持ち歌「愛のさざなみ」を浅丘ルリ子が歌っている:https://www.youtube.com/watch?v=_LWyGnGLliY
ベートーヴェン生誕250周年(12月16日)

33才の頃(1803年)の肖像画

250年前の今日か翌日、ベートーヴェンがボン(ドイツ)に生まれた。42年前になるが、Y社の駐在員としてハンブルク(当時は西ドイツ)に赴任。出張や夏休みなどでライン河畔のこの町を2回ほど訪れたことがある。ベートーヴェンの生家は記念館になっていて、その同じ並びの目と鼻の先にのちに楽聖となるルードウィッヒが(12月17日に)洗礼を受けたレミギウス教会がある。17才の時にヴィーンに旅をし(死の2年前の)モーツアルトに会っている。その5年後にヴィーンに移住し、人生のほとんどが旅の途上であった(auf der Reise)モーツァルトと異なり、この町で活動しこの町で56年余の人生を終えた。作品数においてはモーツァルトの626曲にはるかに及ばないが、より多くの聴衆に聴かれる名曲を数多く作曲した。その中でも「交響曲第九番」は人類史に残るほどの名曲中の名曲であり、(ヴァーグナーの楽劇を専門に上演する)バイロイト音楽祭でも初日に演奏され敬意が払われている。日本ではこの時期全国いたるところでこの曲が演奏されているが、今年は中国武漢市発のウイルス蔓延を警戒して自粛となっている。
音楽とオカルティズム②(10月25日)

高橋巌著「神秘学序説」、1975年、装幀:横尾忠則

オカルト(Occult Science)というのは、「秘儀の伝統に基く神秘学」あるいは「超感覚的認識」と言い換えることが出来るだろう。感覚、感性に重きを置くだけでなく、それらを超えた霊性をも取り入れる姿勢である。従って、唯物論に立脚するマルクス主義とは相容れないものである。古神道、そして仏教でいうと「密教」がそれに相当する。高橋巌先生は、シュタイナーの神智学・人智学の研究に専念できる環境を求めて大学を去られた。その3年前の1970年には、つまり大阪万博が開催され(秋)、三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊で日本再生を訴える檄を発した(秋)年、「ヨーロッパの闇と光」(新潮社)を世に送り出された。そこには「現代の秘教ールドルフ・シュタイナー」の項があり、また渋谷店での講演の素になったと思われる「愛の思想―ヴァーグナー」や「パルジファルとグラール伝説」の項が収められている。さらに、その5年後には、つまり日本楽器渋谷店でのご講演の前年、「神秘学序説」をイザラ書房から出された。装幀を横尾忠則氏(1936ー )に依頼されている。ちなみに、~レコードコンサート開催の都度、テーマとなった作曲家についての評論やエッセイを編集したガリ版刷りの小冊子を作っていた。ヴァーグナーの時には、横尾忠則氏の新刊「なぜぼくはここにいるのか」から採録させていただいた。~ この本には「シュタイナーにおける認識の行法」が収まっている。ここでYouTubeを見ると、 渡部昇一先生(1930ー2017)はご講演の中でオカルトとかシュタイナーの名前が出て来るのでびっくりした。「本居宣長は三十数年間古事記を読んでいるうちにそれがオカルト的に書かれていることに気付いた」なんて述べられている。渡部先生はイギリス留学中にエジンバラでシュタイナー思想に出会われたらしい。驚いたことに、高橋先生が西ドイツに留学中(1958年)にシュタイナーの人智学に出会わられ、渡部先生は同じ頃イギリスでシュタイナー思想に遭遇されたのである。渡部先生は繁く日本文化チャンネルに出演され、「大道無門」という番組を持っておられた。知の巨人である。クリスチャンでありながら保守の論客でもあられた。ご郷里が家内の父方の祖母と同じ山形県鶴岡市であられるということで親近感が湧いてきた。
音楽とオカルティズム(令和2年10月25日)

日本楽器製造㈱渋谷店でのレコードコンサート、1976年8月28日

昭和49年(西1974)4月、日本楽器製造株式会社(現・ヤマハ株式会社)に就職。一ヵ月の研修(机上+現場)の後、東京支店渋谷店オーディオ係に配属された。オーディオ・ブームたけなわの頃で、2年半ほど小売り業務(店売りと外販)の両方を経験。個人の売り上げでは、全国16店ある中でトップの成績を収めた。その傍ら、新製品の発表を兼ねて「クラシック・コンサート」を企画・運営。10回目のエリック・サティの企画をしたところで本社(浜松)ステレオ輸出課への転勤辞令が出た。当時エリック・サティはまだブームにはなっていなかったので、いわゆる先駆け的イベントだった。この時は生のピアノ演奏で、作曲家・高橋悠冶の妹の高橋アキさんに弾いていただいた。地下の会場までグランドピアノ(ヤマハ)を運んでもらえたのも渋谷店内の横の連携・協力があってこそだった。東京への出張を作って会場に行った記憶がある。右の写真は、第6回目の「リヒャルト・ヴァーグナー、音楽とオカルティズム」の時の会場風景である。講師は、その3年前に慶応義塾大学文学部教授を退職しルドルフ・シュタイナーの研究に専念されていた高橋巌先生にお願いした。
愛媛県立松山東高等学校校歌(10月18日)

我が母校・松山東高校新校舎、正門左手に安部能成の胸像がある

母校・松山東高校は伊予松山藩の藩校を源とし、松山中学となった明治11年(1878)を創立年とする。戦後数年間松山商業高校と統合されていたが、それが解消された昭和28年(1953)に今の校歌が制定された。今日そのことを知った次第である。作詞は、松山中学の卒業生で美術エッセイスト・画商の洲之内徹(1913-1987)、作曲は近衛文麿元首相の異母弟で作曲家・指揮者の近衛秀麿だった。洲之内徹は小林秀雄や白洲正子らからその評論家としての文才を称賛されていた。作曲の方は、同じく松山中学の卒業で学習院院長を当時務めていた安部能成(1883-1973)からの依頼であったろうと推測できる。

愛媛県立松山東高等学校校歌

                     州之内徹 作詞         近衛秀麿 作曲 

眉きよらかに 頬はあつく

いのちまた 燃えたり かかる日の

かかる朝なり 青雲の思ひ

流れやまず 流れやまず

茜明けゆく そらのはたて

 

学舎(まなびや)の庭 春たけたり

千筋なす 青柳 風吹かば

掛けしたて琴 弦(いと)のひびき

鳴りわたりぬ 鳴りわたりぬ

いのち秘めにし 若き調

 

誇はたかく 夢はふかく

われらここに集ふ ここにして

唇(くち)に歌あり ここにありて

日は美(うる)はし 日は美はし

光もとめて 生くる月日

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