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Try again,復興への意志(12月31日)

掛川・粟ヶ岳の山頂から望む今年の初日の出(撮影:山田繁之)

今年7月末に歌手・長淵剛氏が被災地・宮城県石巻市で激励のコンサートを開いたという。歌の力、音楽の持つ力はやはり凄いと思った。祖国日本への熱い想いが根底にある。救済活動を続ける自衛隊の方々を激励するコンサートは感動ものである。”Try again for Japan"と
題された日和山のコンサートには小学生児童を中心に1000人があつまったという。標高56メートルのこの低山には闘いの神様・タケミカズチノミコトを祀る鹿島御児神社が鎮座している。遅ればせながら、このことを知った今日という日が平成23年最後の日であり、明日から新しい年が始まるという巡り合わせに不思議なものを感じる。長淵氏が鹿児島出身であることも、うなずける。日本もまだ捨てたものではないかも知れない。転回点である。”東の野にかぎろひの立つ見えてかえりみすれば月かたぶきぬ”(柿本人麻呂)

「先人の肖像画展」の初日に間に合わなかった浜松出身の作詞家・清水みのる氏の肖像画が、今日の午後作者本人によって持ち込まれた。対象の本質をしっかりと捉えた秀作である。これで浜松ゆかりの先人コーナーが全数整い、全体でも80点となった。昨日の開会セレモニーでは、フルート演奏により「森の水車」(作詞:清水みのる、昭和17年)が披露されたが、詩の方もきちんと用意しておくべきだった。昭和21年に田端義夫の歌で大ヒットした「かえり船」が清水みのる氏の作詞である旨をプロフィールの中で書いたのであるが、”かえり船”が戦地からの”引き揚げ船”のことだとは不明にて知らなかった。恥ずかしいことである。
なお、「星の流れに」が清水みのる氏の代表作である、というご助言も来場の方よりいただいた。


モーツアルトの夏(8月5日)

1788年の6~8月の短期間にモーツアルトの最後のシンフォニーが続けて三曲作られた。第39番、第40番、そして「ジュピター」の副題を持つ第41番である。いずれも演奏時間が30分を割るので、続けて聞いいても、マーラーの交響曲第3番の永さに満たない。以前、カール・ベームがアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮した演奏のLPを大事にしていた。
1950年代半ばにステレオ録音された盤で、確かフォンタナレコードから発売されたものだった。大学時代に買ったもので、
卒論でマーラーについて書いていた時によく聞いていた。そのLPは2回目の欧州駐在から帰国したとき処分してしまった。今から思うと、本当にしまったことをしたものである。同じ録音がCDになったものを最近買ったが、感慨深いものがあった。
カール・ベームの実演は一度だけハンブルク(当時は西ドイツ)で聴いたことがある。演目はモーツアルトではなく、ブルックナーの交響曲第七番であった。巨匠のオーラというものは凄いもので、舞台に出てくるだけで聴衆は緊張した。演奏の運びも実に堂々としたものである。

”異郷で聴いた唱歌”(6月17日)

文芸批評家の新保祐司氏の紀行文”ベネツイアゆかば”より~ベネツイアのサン・マルコ広場近くのサン・モイゼ教会で”日本のための慈善コンサート”が開かれた。5月2日のことであった。バッハ、ヘンデル、ビバルデイそしてフォーレの宗教曲のあと、日本の唱歌が歌われたという。「故郷」「春の小川」「朧月夜」「鯉のぼり」「茶摘」「夏は来ぬ」「われは海の子」「もみじ」「冬景色」「雪」、以上10曲の一番がメドレーで歌われ、「故郷」の2番で締めくくられたという。薄暗い教会の中で向こうの宗教曲が歌われたあと、第二部として祖国日本の唱歌が用意されていたのだ。音楽をイタリアで勉強していると思われる日本人女性が歌っていたとのことであるが、彼の地で同胞の人と会うのも小さな驚きと安堵を覚えるものであるが、思いがけなく「故郷」が聞こえてきたときには、暗闇の中にほのかな光が射してきたような印象ではなかったろうか?新保氏は、”ふと、胸をつかれるようであった”と記している。よくわかる。異国の地で日本の調べを聴くという体験は、胸にジーンとくる感慨があるに違いない。「故郷」の2番の歌詞は、こんな風である。

 ”如何(いか)に在(い)ます父母(ちちはは)
  恙(つつが)なしや 友がき
  雨に風につけても
  思い出(い)ずる 故郷”

戦前の歌詞はほとんどが”やまとことば”である。一音一音に言霊を秘めた”やまとことば”である。あたたかみがあり、自然との一体感が感じられる。とにかくも、遠く離れた異国でも、東日本大震災の犠牲者を悼み、早期復興を願う気持ちが表現されている。そのあたたかい心は目に見えないけれども、きっと伝わるに違いない。新保氏は記す:”異郷で聴く唱歌のメドレーは、宗教曲よりも、ある意味で宗教的であった。また、大作曲家たちの宗教曲に比較しても、日本人の心に訴える点において遜色がないようにも感じられた。唱歌というものは、確かに近代の日本が生んだ文化的傑作といえるだろう。女性歌手の一人は泣いて、指で涙をぬぐいながら歌っていた。震災の犠牲者を思っていたのかもしれないし、この唱歌が表現している美しい日本の風景が失われたことを深く嘆いていたのかも知れない” (6月17日付・産経新聞・国際欄より) ちなみに、新保氏は仙台のご出身である。

スペイン出身で「世界三大テノール」の一人 プラシド・ドミンゴさんが、今年4月の東京公演で(アンコールで)日本の唱歌「ふるさと」を日本語で歌ったという。3600人の聴衆も加わり大合唱となったという。美しい話ではないか...。ドミンゴさん地震1985年のメキシコ大地震で親類を失った経験があり、東日本大震災で被災した方々の気持ちがよく分かるという。日本の
大震災を知ったのは、滞在先のワシントンだったという。ドミンゴさんが総監督を勤めるナショナル・オペラでは公演前に何と「君が代」を演奏したという。親日家として知られ、日本での公演は既に20回を超えるという。4月の公演も、福島原発事故で海外の音楽家の来日公演がキャンセルされる中にあってのことだった。「震災の前に音楽が出来ることはほとんどないが、音楽はつかの間であっても人を幸せにできる。悲しみや苦しみを忘れさせることができる」と、また「いつの日か強い気持ちになれる日が来ると信じています」と話されたという。特別な意味が込められたドミンゴさんの「ふるさと」であった。音楽の翼に乗って人から人へと「真心」は伝わるものだし、そういう意味で音楽のもつ力は決して小さくはないと思った次第である。

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