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ブログ

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リヒャルト・ヴァーグナー(5月22日②)

今日は作曲家リヒャルト・ヴァーグナー(1813-1883)誕生の日である。高校1年生のときFM放送でバイロイト音楽祭の実況中継を聴いて以来ファンになったが、それが高じて1979年にヴァーグナーの生地ライプチッヒを夏休みの旅の旅程に入れたことがある。当時はまだ東ドイツだったので、”国境の町”でバッハの生地アイゼナッハ経由でライプチッヒに入ったが、ヴァーグナーの生家はもうなかった。そのあと、プラハ、ヴィーンを経て聖地バイロイトに移動、バイロイト祝祭劇場を見学し、Wahnfriedというヴァーグナーの邸宅を訪ねた。実際にヴァーグナーの楽劇を聖地バイロイトで聴く機会があったのは、1984年だった。「オランダ人」「タンホイザー」「マイスタージンガー」「ロ-エングリン」などがあったが、最後の作品”パルシファル”にいたく魅せられた。ヴァーグナーが立ち会えなかったこの作品の初演を聴き、その後の作曲活動の心の支えにしたのが当時23才のグスタフ・マーラー(1860-1911)である。昨日の関連となるが、クレー同様、ヴァーグナーもまた”さまよい人”であった。”さまよえるオランダ人”という作品は直接的であるし、また大作”ニーベルンゲンの指輪”にも”さすらい人”(Wanderer)が登場する。その不安定な心理が温床になっているヴァーグナーの作品群が生まれる原動力はちょうど真珠の形成過程に似ている。再来年2013年はそんな大作曲家の生誕200年の年だ。日本では、伊勢神宮の式年遷宮(20年に一回)と出雲大社の式年遷宮(60年に一回)が同時期に行われる。つまり、天津神と国津神とが同時に遷宮されるのだ。何かがブレイクスルーする年になるであろう。

モーツアルト(1月27日)

宮廷の礼服を着た5歳のアマデウス

今日はW.A.モーツアルトの誕生日である。1756年1月27日、今はオーストリアのザルツブルクに生まれた。45年くらい前のアメリカ映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台になった町である。すぐそばをネッカー河が流れている。河にしろ湖にしろ、そして海にしろ、さらには瀧にしろ、水辺がある環境は素晴らしくロマンチックな気分を醸成しくれる。天才モーツアルトを生んだ環境とは、父親レオポルトの存在のほかにこの自然環境、そして生涯を通じて旅の空の下にあったこと、などが挙げられるだろう。5歳のアマデウスはたどたどしいドイツ語でこんな手紙を書いている。”この世で一番好きなお父さん、ぼくは
詩人ではないので気のきいた陰影のある文章は書けません。ぼくは画家ではありません。感じたことや考えたことをうまく描けません。舞踏家でもないので、音の響きで表現するしかないのです。ぼくはもうひとかどの音楽家なんです。”(筆者訳)
5年前が生誕250周年であった。21世紀倶楽部の月例会で「モーツアルトよ永遠なれ!」と題して講演したことがある。http://pt21c.jp/membersday/061121.htm

Led Zeppelin(1月9日②)

ベルリン上空を飛ぶZeppelin号、グループ名の由来?

今日1月9日は、イギリスのロックグループ Led Zeppelin(1968-1980)のベースギタリストジミー・ページの誕生日である。よく覚えているものだが、それはクラシックしか聞いていなかった私にZeppelinの音楽を紹介してくれた大学時代の親友も同じ誕生日だったからだ。ヤマハの駐在員としてドイツに赴任したのが昭和53年(1978年)、日本楽器入社後4年目の年だった。入社同期の高橋源樹も同じ頃ドイツに赴任しており、彼は大学時代にバンドもやっていた超ロック好きな奴だったので、1979年にロンドン郊外のネブワースパークで開催されたZeppelinの最後のコンサートを一緒に聴きにいった。Zeppelinの大ファンの家内と3人でハンブルクからロンドンまで飛んだ。前座が長く、Zeppelinが舞台に現れたのはあたりが暗くなりかけた夕方6時過ぎだった。会場は広い公園なので、舞台上に大型スクリーンが設けられていた。PAの音響も低音を中心に迫力充分だった。"Stairway to Heaven"や”カシミール”、”移民の歌”など、real timeでZeppelinの魅力を堪能出来たのである。ロバート・プラントのボーカルも高域の伸びと透明感が美しく素晴らしかった。ゆるぎの無い厚みのある音作りと、どことなく”さすらい人”の哀感を感じさせるところがZeppelinの魅力だろうか?ドラムとキーボードを伴奏として、ボーカルとベースギターとが共に”ハレ”を競っているのだ。
http://www.ledzeppelin.com/

「第九」から「第二」へ(12月22日)

静岡グランシップと富士山(筆者撮影)

今日22日は冬至にあたる。太陽の命が最小限の日である。明日から太陽の復活が始まる。こういう時期には、恒例のベートーヴェン「第九」からマーラーの「第二」(副題は”復活”)に鞍替えしたらどうだろうか?この曲は日本が日清戦争を戦っていた頃に生まれたのであるが、当時マーラーは
ハンブルク(北ドイツの湊町)の国立歌劇場の音楽監督だった。市内にあるミヒャエル教会で行われた指揮者ハンス・フォン・ビューローの葬儀に歌われたクロプシュトックの”復活”という詩を基にしたミサを聞いたのをきっかけに交響曲
第二番の終楽章を一気に完成したのだった。夜明けを告げるようなトランペットがおごそかに鳴り渡り、教会の鐘がゴロンガロンと壮大に轟く、新しい年を迎える時期にふさわしい曲なのである。日本で最初の試みをするなら、何といっても
静岡グランシップの大ホール”海”であろう。ここからは霊峰富士が間近に見え、視覚的な環境も良い。
*元旦の耳寄情報~静岡グランシップの10階展望ロビーが元旦(1月1日)6:30より無料開放され、富士山を見ながら初日の出が拝めます。(駐車場は6:15オープン)

「第九」の季節(12月17日)

宮澤賢治の手帳より

今日17日は楽聖ベートーヴェン(1770-1827)の生誕240周年の日にあたる。日本ではこの季節になると、各地で「第九」が演奏され、師走の風物詩になっている感がある。一年の締めくくりのとき、新しい年に向かって羽ばたこうという気持ちを盛り上げてくれるのだろう。この交響曲の最終楽章ではドイツの詩人フリードリッヒ・フォン・シラーの「歓喜に寄せて」という詩が歌われる。1989年のベルリンの壁崩壊後にこの曲がバーンシュタインの指揮で演奏された。シラーの詩の原題は「自由に寄せて」(An die Freiheit)であったが、このときまさにその詩にふさわしい場面で「自由に寄せて」と謳われたのである。何かの節目にあわせてこの曲が演奏されることのようだ。ベートーヴェンを深く尊敬していたリヒャルト・ヴァーグナーはドイツのバイロイト(バイエルン州)に専用のオペラ劇場を得たが(1876年)、その祝祭演奏会(Festspiel)の開催はいばらの道であった。第二次大戦後6年してやっと再会したが(1951年)、そのときに最初の演目として演奏されたのがベートーヴェンのこの「第九」であった。指揮はヴィルヘルム・フルトヴェングラー、バイロイト祝祭歌劇場管弦楽団であった。ちなみに、宮澤賢治はレコード会社から感謝状を送られるほどSPレコードの収集家であったが、このベートーヴェンの「第九」ノレコードを持っていたかどうか...。

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