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ブログ

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安倍総理の死(令和4年8月6日)

かけがえのない人を日本は失ってしまった。今年の2月には石原慎太郎氏が亡くなった。石原氏はいわば自然死で天寿を全うされた、と言えるだろうが、安倍総理は違う。凶弾に倒れたのだ!果たして、あれは単独犯によるものだったろうか?多くの疑念が沸き上がっている。
以下、頑張れ日本全国行動委員会姫路支部の動画2件である。
①   https://www.youtube.com/watch?v=v9wZO1UA_yU&t=187s 18分

② https://www.youtube.com/watch?v=Ud8KhRb4XS0&t=21s 15 分
樺美智子さんの死(令和4年6月15日)

今日6月15日は、60年安保闘争のデモに参加して命を失った東大生・樺美智子さんの命日である。大学2年生の時は、70年安保闘争の年で,学内は全共闘や全学連の連中のアジ演説やびら配りで騒然としていた。その前哨は一年前の入学式の時からあった。式が始まった途端、白ヘルを被った全共闘の連中が壇上に雪崩込んできて入学式をぶち壊してしまったりした。あの蛮行は許せない。「晴れの場」を穢したのだ。わざわざ松山の田舎から参列した母もびっくりしただろう。
当時はアジ演説を聞いても何のことかよく呑み込めなかった。訳も分からず友人に誘われるまま京都でのデモに参加したりもした。この年は大阪万博の年でもあり、何かとアップテンポの空気が支配的だった。
樺美智子さんの遺稿集「人しれず微笑まん」(三一書房)が前年に第6刷となっておりそれを買って読んだりもした。デモに参加して犠牲となったということに対する同情心を募らせながら読んだ。20才の誕生日に日本共産党に入党したいわゆる活動家だった。石原慎太郎氏が当時「自分で自分を踏み殺した女子学生」と評したのも、今から思うとむべなるかなである。
漢民族の正体④週刊新潮より(令和4年2月19日)

~漢人は口を極めて西太后を残忍で無能で浪費家と腐すが、それは正しくない。彼女は日清戦争の敗因が科挙の制の愚と知ってそれを廃止し、代わって日本留学を新しい登竜門とした。第一号は科挙をトップで通った汪兆銘だった。その感覚が孫文にはない。彼は日本にたかり、一方で米国には日本排除を要求する。諭吉が案じた通り、孫文も蒋介石も、混乱と腐敗を呼び込むだけだった、
そのあとの毛沢東も同じ。漢民族の持つ残忍さと猜疑心だけで成り上がった男は東京五輪に核実験をぶつけてプルトニウムを日本の空に撒いた。
そのくせ中ソ蜜月が崩れ、孤立すると岡崎嘉平太を使って田中角栄を誑し込み、ODAを手に入れた。天安門事件は中共政権が民の敵・漢民族王朝そのものと証明した瞬間だったが、それで再び国際社会から締め出されると、再び日本を騙して天皇ご訪問の形で窮地を脱した。その漢民族政権が今ウイグルでの悪行で孤立を深める。日本人もそろそろ彼らの正体を見抜きたい。何度も騙されるな。~

漢民族の正体③週刊新潮より(令和4年2月17日)

朝鮮はまだ国があり、自分たちの王朝があった。林白湖も中原の漢人より幸せと考えればよかったのに。ただ長い歴史の中でそんな漢民族が国を建てることもあった。漢、宗、明、そして今の中共がそれだ。その治世は今の北京政府を見て分かるように酷い。奴隷根性そのまま。猜疑心と嫉妬と我欲による政治に民は苦しめられた。
彼らは独自の文化も持つ。宦官と纏足と残酷刑と科挙の制だとか。ひと様に誇れる文化は皆無だ。因みに日本はそのどれも取り入れなかった。そんな漢民族が建てた明が滅び、満州族の清が北京に入城すると、民は歓呼して彼らを迎えたという。
我々日本人が一括りに言う「志那人」には二種類の民族があることが判る。一つが原住民である漢民族と、もう一つが彼らを支配しながら絢爛の文化を咲き誇らせた征服民族だ。その漢人が清の傾きを見て再び頭をもたげたとき、福沢諭吉は躊躇いなく漢人を切れと言った。しかし他の日本人はその異同が分からないまま清の西太后を遠ざけ、漢人の孫文を撰んだ。
漢民族の正体②週刊新潮より(令和4年2月16日)

~東夷がきて殷を建て、次いで西?がきて周を建てた。それを倒したのが同じ西?の始皇帝といった調子だ。外来王朝は20世紀初めの清まで続き、その間の漢人の身分は常に支配王朝の奴隷だった。清朝では満州族の「血が汚れる」からと漢民族との通婚を禁止し、後宮にも漢民族の女は入れなかった。米国でも黒人との性交渉を死刑としたが、それと同じ殊遇だった。
習近平は「偉大な民族の歴史」を往々語るが、漢民族はそのほとんどを奴隷として暮らしてきた。だから彼らは夢も見ない。性根は歪み、刹那的でモラルもない。平気で嘘を言い、騙し、盗むのはもはや民族性にもなっていた。実際、五胡十六国時代の夷狄は漢民族の振る舞いを見て、人でなしを「漢人みたい」と言い、悪漢とか痴漢、無頼漢、大食漢などの言葉が生まれた。

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