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明智光秀の遺作③(10月16日)

明智光秀の家紋、水色桔梗

京都の北西で光秀主催の連歌会が催されたのは天正10年5月28日。宮崎正弘氏の書はまた次の様に続く。~「久米歌」の項でも、「荒ぶる神等を言向け平和し、伏はぬ人等を退け撥ひて、畝火の白檮原宮に坐して天の下、治らしめしき」 以下、綏靖天皇の項。「葛城の高岡宮に坐して,天の下治らしめしき」。安寧天皇。「大倭日子祖友命は、天の下治らしめしき」。懿徳天皇。「境岡宮に坐して、天の下治らしめしき」そして雄略天皇、崇峻天皇、推古天皇にいたる万世一系の系譜の表現は全てが「天の下治らしめる」とされているのである。
明智光秀の遺作②(令和2年10月15日)

愛宕山、山頂に愛宕神社が鎮座

越中時代の大伴家持が詠んだ長歌には、古事記からの引用があった。冒頭の「葦原の 瑞穂の国を 天下り 知らし召しける」である。以下ふたたび宮崎正弘氏の著書より。~天下り 知らし召しける、とは天皇が統治するという意味で,『古事記』に頻出する。「天が下しる」と光秀が詠んだ本歌である。近代の歴史学者は驚くべきことに日本史最古の歴史書である『古事記』を軽視している。光秀の「天の下知る」の原典は古事記である。
まずは『古事記』上巻「天照大御神と大国主命」をご覧あれ。「この豊蘆原の千秋の長五百秋の瑞穂の国」とあって「我が御子の知らす国と、言依さし賜へる国なり」と明記してある。そして中巻冒頭「神武天皇」の項目では「天の下の政を平らけく聞こし看さむ。なほ東に行かむと思ふとのりたまふ」。つまり神武東征は,天の下の知らす(統治)を徹底させるため、と書かれている。
明智光秀の遺作(令和2年10月14日)

明智光秀の肖像画、本德寺蔵

「ときはいま 天が下しる 五月かな」これは、天正10年(西1582)6月2日)午前4時に決行された本能寺の変の5日前に京都北部にある愛宕神社で催された連歌会での明智光秀による発句であり、遺作となっている。愛宕百韻と呼ばれ、光秀を含め9名が参加している。最後は光秀の長男・光慶による「国々は猶のどかなるころ」という句で結ばれている。光秀の遺作の解釈は、これまで①信長から天下を奪い取る、という野望説 ②光秀を使って自分の野望を達成しようとした黒幕説 などが主流であったが、全く新しい説が出現した。
平成の御代がまさに終わりを告げようとした昨年の春、徳間書店から「明智光秀 五百年の孤独」という本が世に出た。著者は日本文化チャンネル桜のキャスターを務めておられる宮崎正弘氏である。以下,同書より~戦国と雖も知識人は当時必ず読んでいた書物がある。『万葉集』『古今和歌集』『新古今和歌集』は当然の教養書であり、加えて『太平記』を読むのは知識人の常識だった。この列に『神皇正統記』と『愚管抄』が加わる。~ 江戸時代後期の農政家・二宮尊徳の勤労・分度・推譲の三訓が「至誠」を本(もと)とするように、光秀の遺作もまたその本となったであろう上記の教養書を読んでいなければ正しい解釈は出来ない。「本歌取り」が連綿と続く日本的手法なのである。
万葉集全20巻朗唱の会(令和2年10月11日)

朗唱会に参加した浜松チーム。浜北区長の加藤範行氏と山下智之氏(青紫の衣装)

今年で31回目となる「万葉朗唱会」が富山県高岡市主催で開催されたという。浜松チームの一人として参加した万葉研究家で賀茂真淵顕彰会会長の山下智之氏からの情報である。今月2日から4日迄、現地の高岡市の古城公園の水上舞台ではなく、13県31都市の有志による動画投稿によるYouTube配信というirregularな形だった。武漢ウイルスの影響である。全20巻4516首が38時間に亘って朗唱された。まさに全国津々浦々からである。圧巻というしかない。高岡市が主催となっているのは、万葉集の編者・大伴家持が越中国司としてこの地に5年間在任していた縁からという。浜松からは5回に分けて計15首が朗唱された。1200年以上も前の和歌がこういう形で現代に生きている、いのちを繋いでいるということに感銘を覚えた次第である。また、万葉仮名の読み方を詳らかにしたのが浜松に生まれた賀茂真淵であることにも思いをいたしたのである。p.s.①高岡市は、確か鋳造技術で有名な地では?二宮金治郎像もここで多く造られている。②加藤区長が浜松の文化・産業について紹介されていましたが、上記の背景もあり、賀茂真淵記念館も取り上げてほしかったですね。
東京オリンピック(10月10日)

亀倉雄策デザインの公式ポスター

56年前の今日、天皇、皇后両陛下のご臨席を仰いで開会式が挙行された。空は青く晴れ渡り、開会のファンファーレが高らかに鳴り渡った。聖火が灯され、鳩の群舞、ブルーインパルスによる五輪のマーク、国歌君が代斉唱、古関裕而作曲オリンピック・マーチに伴われた参加各国選手の入場行進(94か国、7060名)。この日は土曜日で半ドンだったので、午後から始まったテレビ中継を自宅で見ることが出来た。胸躍らせ、固唾をのんでテレビ画面(白黒)に見入った。英語の勉強用にと祖母が買ってくれたばかりのテープレコーダー(SONY)で録音したことを思い出す。
当時中学2年生、13歳だった。聖火リレーは開会式の一ヵ月ほど前に愛媛県も通過した。9月12日に大分から高浜港に着き、松山市内を巡った後、9月14日高知に繋がる国道33号線の三坂峠(標高720メートル)を通過、下の方から山道を何キロも歩いて応援に行った。授業の一環だった。
昭和15年にも東京オリンピックが予定されていたものの、日支事変の影響で返上となった。今年も中国武漢市発のウイルス騒動の関係で延期となった。いつも隣国がからんでいる。尖閣諸島海域での領海侵犯のこともあるし、足元をすくわれないためにもそろそろチャイナ・ディスタンスを考えないといけないだろう。
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