78年前の今日、3年8か月続いた戦争が終わった。天皇陛下の詔勅がラジオを通じて放送された日である。
小國神社の境内社である瀧宮社に詣でた。台風による大雨のおかげでその脇に瀧が現出していた。6月30日の夏越大祓の時には枯れ滝であったが、今日は涼しげな音を立てて白い姿を現していた。
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天照大御神が邇邇芸命に授けた三大神勅とは「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅」「宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅」「斎庭稲穂(ゆにわいなほ)の神勅」の三つの神勅をいい、その意味は次のようなものです。
◇天壌無窮の神勅:豊かに葦の生い茂る原に、瑞々しい稲穂が永遠に豊かに実り続けるこの国は、私の子孫が主となる地です。わが子孫よ、その地に就いて治めなさい。その天の御位は、天地とともに永遠に続くことでしょう、という意味です。
◇宝鏡奉斎の神勅:この神鏡を見る時は私を見るつもりでご覧になりなさい。この鏡をあなたの住む宮殿内に安置して、祭りを行うときの神鏡と致しなさい。この意味は、この鏡を見て私利私欲で民を苦しめていないか、といつも自問自答し、そこに少しでも「我(が)」があるならばそれを取り除きなさい。かがみ(鏡)からが(我)を取り除くとかみ(神)となる、天皇としての生き方を教えたものです。
◇斎庭稲穂の神勅:天照大御神は高天原でつくる神聖な庭の稲穂を子孫に授け、この稲穂を育てて葦原中国を治めて繁栄させなさいと教えたのです。皇室の祭祀として、毎年11月23日に行われる新嘗祭はこの神勅に由来する大切な祭祀です。
※本記事は、2020年7月刊行の書籍『いま、日本の危機に問う』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。
西郷の局(1552-1589)は徳川家康公(1543-1616)の側室で第二代将軍・秀忠公の母である。お墓は静岡市の龍泉にあるが、生まれたのは掛川の地である。令和ちょうど一年前に顕彰碑が建てられた。報徳の心篤い米穀商・石野ご夫妻が私費を投じたのである。その一周年記念祭が午前10時より開催された。一年前の除幕式の時は風が吹き荒れたという。今日は春うららかな好天に恵まれ大勢の人が集まった。会場は家光公を斎る龍華院で掛川城から徒歩数分の丘の上の広場である。
来賓挨拶に続いて、会場には清らかな歌声が響き渡った。掛川少年少女合唱団とありがとう広め隊のメンバーにより6曲が披露された。特に橋本洋子さん率いる「ありがとう広め隊」は二宮尊徳翁の報徳精神に則って活動をしており、①ふじの山 ②おぼろ月夜 ③二宮金治郎そして ④ありがとう の4曲を斉唱した。築山御前(1542-1579)と同じく38才でこの世を去った西郷の局の御霊に手向けられたのである。
来賓挨拶に続いて、会場には清らかな歌声が響き渡った。掛川少年少女合唱団とありがとう広め隊のメンバーにより6曲が披露された。特に橋本洋子さん率いる「ありがとう広め隊」は二宮尊徳翁の報徳精神に則って活動をしており、①ふじの山 ②おぼろ月夜 ③二宮金治郎そして ④ありがとう の4曲を斉唱した。築山御前(1542-1579)と同じく38才でこの世を去った西郷の局の御霊に手向けられたのである。
99年前の今日午前11時58分32秒、関東地震が発生した。マグニチュード7.9だった。阪神淡路大震災時には圧死が多く、また東日本大震災時には溺死が多かったのに対して大正12年(1923)の関東大震災の時は焼死が多かったという。被災地域は東京、千葉、茨城、埼玉、山梨、神奈川、静岡など広範囲に及んだ。死者・行方不明者約10万5千人。その中には小田原や藤沢、鎌倉の別荘に避暑滞在中の皇族女性3名もいらしたという。
当時在日仏大使だった詩人のポール・クローデルの手記には次の様に記されている。~被災者たちを収容する巨大な野営地で暮らした数日間.....私は不平の声ひとつ耳にしなかった。唐突な動きや人を傷つける感情の爆発で周りの人を煩わせたり迷惑をかけたりしてはならないのだ。同じ小舟に乗り合わせたように人々は皆じっと静かにしているようだった。
当時在日仏大使だった詩人のポール・クローデルの手記には次の様に記されている。~被災者たちを収容する巨大な野営地で暮らした数日間.....私は不平の声ひとつ耳にしなかった。唐突な動きや人を傷つける感情の爆発で周りの人を煩わせたり迷惑をかけたりしてはならないのだ。同じ小舟に乗り合わせたように人々は皆じっと静かにしているようだった。