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国政の分水嶺(令和3年9月8日)

自民党総裁選に立候補する高市早苗氏の表明があり、質疑応答を含んでの約2時間をYouTubeで見た。しっかりととした国家観を背景に国防、経済政策など信念の裡を吐露した。語り口、表情など引き込む力があり、鼓舞されるような感じだった。希望が湧いてきた。
静岡県選出の民社党の衆議院議員だった安倍基雄氏の著書より~これから秋に向けて、マスコミは、自民党の総裁選で、誰が選ばれるかを連日報じることであろう。誰が総裁になるかは、もちろん大切なことである。しかし、この難局に際して、どのような方向に我が国が進んでゆくべきかが、より一層大切な問題である。現在の自民党の中に、果たして、先々を見通して、適切な政策を考えてゆける人々がいるか否か、甚だ疑問である。昭和62年7月 ~
この安倍基雄氏の文章が書かれてから32年後の今まさに、高市早苗氏が 我ここにあり! と名乗りを挙げたのだ。



「坂の上の雲」③(令和3年8月24日)

秋山真之(1868-1917)

明治維新により王政復古が成ったと言われているが、その原動力となった国学は明治初期の教育カリキュラムには入ってなかった。なるほど、と思う。尊皇攘夷の精神的支柱は孝明天皇の御製にある。
矛取りて 守れ宮人九重の 御階の桜 いま盛りなり
開国の妨げとなる孝明天皇は暗殺され、明治新政府の方針に異を唱えた西郷隆盛は下野し薩摩に帰った。そういった動きを策謀した勢力が旧弊排除の方針の下我国の伝統文化のエッセンスである国語や国学を顧みなかった。司馬氏は「坂の上の雲」の第二章「真之」の中でこう記している。~この当時、中学校がどの県においても最高学府であったが、教授内容というのはきわめて簡素であった。科目は、漢文、英語、数学、理科(物理、化学、博物)、図画、体操という六科目であった。・・・真之の父の秋山久敬は「人間の道を教えんけれ、いけんの」とこぼしていたが、そのことばどおり修身などは旧弊であるとしてどの中学校でも設けられなかった。全国を風靡している思潮は「旧弊打破」であり、この旧弊のなかに国語もふくめられ、その種の科目はいっさい組み入れられていない。~

「坂の上の雲」(令和3年8月22日)

正岡子規の肖像写真、明治33年に撮影

産経新聞に連載されたこの小説が単行本化されて人気を博したのは昭和53年(1978)。明治の時代、明治の頃の日本精神を描くのに伊予松山に生まれた俳人と軍人とを主人公に選んだのは作者司馬遼太郎の面目躍如といったところであろう。新聞への連載文体は読み易い。なだらかな小川の流れの様である。その文体の中に明治の日本精神の骨格をセットした文才と気概は大したものである。
一度通読したことはあるが、最近の枕頭の書として文字通り枕元に置いてある。
春や昔 十五万石の城下かな
有名な俳人・正岡子規(慶応3年-明治35年)の郷里松山を詠んだ俳句である。のちに浜松に立ち寄った時(明治28年)には、
馬通る 三方が原や 時鳥 と謳った。情景描写の中に心情がうまく読み込まれている。明治人のスケールの大きさも感じられる。ちなみに、右の写真を基にした油彩肖像画を昨年11月に見た。子規の母校松山中学の前身である藩校・明教館の建物が今はその後身・愛媛県立松山東高校(私の母校)の構内に移設されていてその中に掲げられている。
従軍カメラマン柳田芙美緒(令和3年8月15日)

ありし日の

静岡歩兵第三十四聯隊の従軍カメラマンだった柳田芙美緒氏はマルチな人物だった。カメラマンであり、そして詩人だった。写真ばかりでなく詩文数多く遺して逝った。
㈠今さらに 忘れた悲しみをと 誹りの言葉を聞くかも 知れない 
このひと時 今ひとたび しみじみと想いだしてやって もらいたいと思う
このまま 忘れ去っては この人達が あまりにも 可哀想だから
思えば 苦しい 忍苦の断層だった 

㈡とにかく 私と共に歩いた 数万の人々は かえらない 彼らは 祖国の栄光を 信じ戦った
彼らは 生き残る人々のために 死んだ その人たちの かなしみを背負って 生きたいと思う
彼らの 血の流れの 川にまたがって 橋ができた 平和のかけはしだ 血と涙と骨粉を 
しきつめた 道路が出来た 平和のいとなみの 細い道路だ しみじみと想う 平和は尊い 
しみじみと想う 平和はありがたい

(三) 誠実で 勤勉で 純粋で 生きていたなら   すばらしい 建国の指導者であったろう 
あまたなる人々を 戦いで 失った  その身代わりとして 自分たちは 今 生かされていると思う
人を愛し 自分を愛し 祖国を愛することの 出来る限り 私は 戦争をにくむ




今朝の産経新聞・正論欄に小堀桂一郎先生が寄稿されておられる。~昭和天皇の聖断を仰ぎ、ポツダム宣言を受諾する形で大東亜戦争の停戦を辛うじて成就したあの年の8月から76年の星霜が流れた。思へば長い年月だった。・・・日本国民の心理的被占領状態の克服遅滞に遅滞を重ね、未だに旧敵国の一部に対する隷属状況から脱却出来ずにゐる事に深刻な暗澹の情を覚えてゐる。・・・国民の近現代史観に或る広範な転換が生じ、所謂歴史修正の作業が着実に諸に就いた事を認め、それを再生の曙光と仰いでその方向への前進に望みを嘱す方が生産的であろう。・・・国の歴史を動かす摂理もその根源は実は人間の内面に存するという事を日本人が発見したのは鎌倉時代、13世紀初頭の頃である。我が先祖達はそれを道理と名付け、道理が指示する所を正確に読み取り、忠実に行へば歴史はその在るべき方向に進む、との認識を樹立した。
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