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参議院議員の青山繁晴氏のYouTubeより~中国関連について:①中国が新型コロナを世界に拡散させた責任を全面的に取らせる。 ②中国から100万人分の製造業の雇用を取り戻す。 ③中国から米国に雇用を戻した企業を税制面で優遇する。 何という素晴らしいアナウンスメントだろう。トランプ大統領の再選を大いに期待する次第である。
殉國七士廟②[8月15日]

グリーンホテル遠望;ユートピア三ヶ根近くから、クリックすると拡大します

三河湾を見下ろす三ヶ根山上に昭和35年に「殉国七士廟」が造営され、「昭和殉難者」七名の方々のお骨が納められた。昭和53年には靖国神社にも合祀された。その年に第六代宮司に就任した松平末芳氏によってである。「A級戦犯」が祀られたということが政争の具として
扱われ、中韓からの抗議の声が高まるにつれ首相の参拝が中断したままになっている。三木元首相の「私的参拝発言」(昭和50年)が発端となっている。天皇陛下の御親拝も昭和50年の秋季大祭時を最後に令和になっても復活していない。中韓を巻き込んだ情報戦に歴代の政権は負け続けているのだ。
右の写真は、昭和54年に昭和天皇皇后両陛下がお泊りになった三ヶ根山上に立つグリーンホテルを昨日遠望したものである。このホテルから「殉国七士の墓」は目と鼻の先である。この年の5月27日に愛知県新城市で全国植樹祭が開催され、本来であればその会場に近い所を御宿泊地とするはずであった。27日の早朝「殉国七士墓」の方向を15分以上も遥拝される両陛下のお姿が目撃されている。
     今年の 此の日にもまた 靖国の やしろのことに うれひはふかし  (昭和61年8月15日の御製)
殉國七士廟(8月14日)

西尾市出身の国士 高須克弥氏(高須クリニック院長)

愛知県西尾市にある「殉国七士廟」に詣でた。東京裁判でウェブ裁判長により絞首刑(death by hanging)の判決を言い渡され、国に殉じられた七名の方の墓が幡豆町の三ヶ根山上にある。その七名とは ①東條英機:陸軍大臣・首相 ②板垣征四郎:陸軍大将・支那派遣軍総参謀長 ③土肥原賢二:陸軍大将・在満州特務機関長 ④木村兵太郎:陸軍大将・陸軍次官・ビルマ派遣軍司令官 ⑤武藤章:陸軍大将・陸軍省軍務局長 ⑥松井石根:陸軍大将・上海派遣軍司令官 ⑦広田弘毅:外務大臣・首相 である。この裁判については、義父が「あんなでたらめな!」と激高していたのを思い出す。彼は清水の東海大学二期生で航空物理学を専攻し、戦時中は静岡市小鹿で軍用機の生産に携わっていた。右の写真は、言わずと知れた高須クリニックの高須克弥院長で、昨日ここに参拝されたようである。高須院長は、愛知県知事の大村某のリコール運動の会長をなさっている。愛知県民ではないが、自分もおよばずながらリコール署名運動を応援するつもりである。 

昭和20年8月14日(8月14日)

歩兵第十八聯隊跡地に立つ神武天皇像、豊橋公園内

75年前の今日、大日本帝国は「ポツダム宣言」を受諾した。無条件降伏を受け入れた、と言われているが、そうではない。日本国軍隊の無条件降伏(武装解除)を受け入れたのであって、日本国政府が無条件降伏を受け入れたのではない。
~一つの戦争に何故、大東亜戦争と太平洋戦争と二つの名前があるのか?~ 
「大東亜戦争」は、真珠湾攻撃から4日後の昭和16年12月12日に閣議決定をした我が国の正式名称です。我が国の戦争目的は自存自衛、そして、アジア諸国を白人植民地支配から解放することでした。大戦の只中昭和18年11月、東京にアジア諸国の代表を招き大東亜会議を開催し、「大東亜共同宣言」を決議しました。
「太平洋戦争」は、GHQ占領軍が命令した呼称で、アジア諸国(タイを除く)の白人植民地支配からの解放という大東亜戦争の大義を日本人から永久に忘れさせることが目的でした。
[本当の歴史を知る会]レジュメより
p.s. アジア諸国が結集した「大東亜会議」の一か月後に[カイロ会談]が米・英・中の三者で開催された。蒋介石率いる中華民国は、アジアの同胞ではなかったようだ。このカイロ会談が昭和20年7月のポツダム宣言の伏線となっている。
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